スパイ嫌疑をかけられて

十三

歌こそは私の生命(いのち)だといったが、本当の歌に生きる人間の何というか三昧境というか、私はこんな面白いエピソードを持っている。

今から丁度三年前、伊太利のサレルモで歌った時、ロシヤとの契約ができて、私はサレルモから一人で出かけて行くと、ポーランドの国境へ入ったと思う間もなく、私は小さな駅に汽車を下ろされてしまったのである。それは旅券の不備からと、私が一萬四千弗(ドル)という大金を所持していたがために、その金を何に使うか目的が解らず、スパイ嫌疑をかけられたのであった。

チエツコまで引き返せという相手の役人の言葉はどうにか解るのであるが、さて私のいう伊太利語も英語も、相手には全く解らないのである。この寒む寒むとした停車場で一夜を明かしてチエツコ行きの汽車を待つことは何でもないが、そんなことをしているとレニングラードの私の演奏會はめちゃめちゃになってしまうのだ。私は全く泣き度(た)くなってしまった。

どうしたら自分がスパイでないと皆に知って貰うことが出来るだろうか。私は小さい村の停電場の前に立って、窮餘(きゅうよ)の一策、歌い出したのだ。リゴレット、トラビアタ、そうした歌の一節を歌い出すと、あちらからも、こちらからも人が集まって来る。

とうとう私のまわりには黒山の人が集い寄って、そして、人々は私の声に和して歌い初めるのだ。ポーランドの、寒むざむしい停車場を背景に、それは本当にほほえましい情景だった。しかも、歌い手ははるばると一人旅して歩く幾千里の向うの日本の女。

ああ、音楽に生きている自分は本当に幸せだと、私は涙の出る程の心で其持(そのとき)も思ったのだった。とにかくその歌からスパイの疑いも晴れて、私のレニングラード行きは萬事好都合に運んだのだ。