私の父は昭和生まれの昔気質な考えの持ち主で、典型的な家父長的父親という感じで、社会的な評価ばかり気にしている面もあり、そのためなのか徳川に対する憧憬があったのかもしれません。
徳川の血を引く母や私たち子どもがうらやましい、と口にしたこともありました。自分の父がそのように思っていることにいたたまれなさを感じましたが、コンプレックスの裏返しだったのか、母や私に暴力をふるうこともありました。
家族の中でいちばん下に見ていた娘の私が当主になるなんて、なおさら許せることではなかったと思います。私が継ぐのであれば、上の兄に継がせるべきという考えで、兄もまた、最初はそのつもりだったと思います。
アンクルも一度は兄に託そうと考えていたようですが、兄は家じまいを反対していた父の意向を汲んでいたので「やっぱり任せられない!」と、はっきり口にしていました。そういったわけで、アンクルの亡き後、役目を兄に代わってもらおうとも思いませんでした。
家じまいを考えているということをアンクルから最初に聞いたのは、がんが見つかる前のことでした。
その時の私は、自分が祭祀承継者になるなどとは夢にも思わず、叔父は叔父なりに悩んだ上のことだと思い、「そうなのね、アンクルがいいと思っているようにやればいいと思うよ」と他人事のように返していました。
私自身、家の歴史に向き合ったり、史料の重要性を知る前の段階。お墓の管理についても「自分がお参りできるならべつになんでも」という感じで、深くは考えていませんでした。