でもアンクルは、自分の後は美喜ちゃん、と周りにも話すようになりました。その時はまだ誰もその事の大きさを分かっていなかったかもしれません。
病気のアンクルと長く一緒にいたため、彼がどんな気持ちで墓じまいや家じまいを決めたのか理解しているつもりです。その想いを知っている以上、私が遺志を継がねばならないと思うようになりました。
嫁として家も出た私が、徳川慶喜家の当主になるなんて……。
それまで慶喜公や、それに連なる歴史のさまざまな側面についてきちんと学ぼうという意識はありませんでしたが、私は家を閉じるべく、一旦「第五代徳川慶喜家当主」という肩書きを背負うことになります。
そんな肩書きを掲げておいて、自分の家の歴史について知らないままではいられないですし、猛勉強しました(今もしています)。史料の預け先を探すのにも、歴史知識があるに越したことはありません。
それで、家じまいや墓じまいの準備と並行して、歴史的施設を回ったり、本を集めたりと、「花嫁修業」ならぬ「当主修業」を始めたのです。
※本稿は『葵の紋を継ぎまして。』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。
『葵の紋を継ぎまして。』(山岸美喜:著/KADOKAWA)
徳川慶喜家初の女性当主、家じまいに奮闘!
叔父の第四代当主、徳川慶朝に託されたのは、歴史ある徳川慶喜家の「家じまい」を果たすという、重い重い役割。嫁入りして離れたはずの家の当主になり、日々奮闘することに。前代未聞の「女性当主」ゆえに、なかなか受け容れてもらえない苦しさも。それでも、歴史に向き合う中で見えてきた「徳川慶喜家」のすがたとは――。





