ファンが暴走するとき
推し活においてファンが暴走するとき、後者の物言いとオーバーラップするのは私だけだろうか。
――これらは河合隼雄が「呑みこみ、しがみつきして、死に到らしめる」と語った様子と同様の態度である。
母性の原理は「包含する」機能によって示される。それはすべてのものを良きにつけ悪しきにつけ包みこんでしまい、そこではすべてのものが絶対的な平等性をもつ。「わが子であるかぎり」すべて平等に可愛いのであり、それは子供の個性や能力とは関係のないことである。
しかしながら、母親は子供が勝手に母の膝下を離れることを許さない。それは子供の危険を守るためでもあるし、母─子一体という根本原理の破壊を許さぬためといってもよい。このようなとき、時に動物の母親が実際にすることがあるが、母は子供を呑みこんでしまうのである。かくて、母性原理はその肯定的な面においては、生み育てるものであり、否定的には、呑みこみ、しがみつきして、死に到らしめる面をもっている。
(河合隼雄『母性社会日本の病理』中公叢書、1976年)
河合や信田の「母性」が今の日本中に暴走しているという指摘は、推し活というものがここまで広く流行することを予言していたかのように思えて興味深い。まさにファンとは、母性的ともいえるほどに推しを肯定し、育てようとするコミュニケーションをとりつつ、それでいて母性の否定的な側面――自分が許せないような行動をとったり、自分の理想と異なる行動をとろうとすると、「あなたのためを思って」と言いつつ「そんなことをするなら見捨てる」と言い相手に罪悪感を持たせるようなコミュニケーション――で接してしまう。
たとえばアイドルがスキャンダルを起こしたとき、アイドルグループの事務所は処罰を与えないのに、ファンがこれは許せないとSNSで過度なまでに推しを批判することがある。それはまるで父からの罰はないのに、「あなたのためにならないから」と過度に許さないそぶりを見せる母のようである。
――このような態度は、SNSコミュニティの共同性と結びつくと、まるでカーニヴァルかのような過激な炎上を起こすこともある。
そんなことをするのなら、推さない、という脅迫を伝えるファンの行動は、そんなことをするのなら、育てない、という脅迫を伝える母と同様の振る舞いである。規律や処罰ではない形で相手の罪悪感を内面化させようとする姿勢は、まさに母性の暴走そのものだと解釈し得る。
