野球、観劇、アイドル、VTuber、アニメなど、『推し』がいるという方もいらっしゃるのではないでしょうか。文芸評論家で、2025年の『第76回NHK紅白歌合戦』ではゲスト審査員も務めた三宅香帆さんは「日本人にとって推し活はもはや一時の熱狂ではない」と語ります。そこで今回は三宅さんの著書『推したちとどう生きるか』より一部を抜粋し、「ポスト消費社会における『推しの構造』」をお届けします。
推し活と母性の暴走
「お互いに知らないことがある」ことを当然と思えないファンもいる。「すべて教えてくれないとだめだ」「秘密を持っているなんて許せない」と、推し活においてファンが推しを批判し始めたり、苦しめたりするとき、これは母性の悪い側面が出ている場合ではないか。この点について臨床心理士の信田さよ子は、母性的な暴走とは「あなたのために」と言いながら拘束を強める姿勢のことだと語る。
「いい? ママはね、あなたのためにやっているのよ。あなたの未来は無限なんだから、その能力を伸ばすために一生懸命協力しているの」
「今頃になってそんなことを言ったって、自分で選んだんじゃないの? あの塾がいいって言ったのは自分じゃないの?」
こんな言葉とともに、選択と自己責任というタームに帰着される出来事が、日々愛情という言葉にくるまれ、「あなたのために」と拘束を強める。まるで暖かい真綿で首を絞められるような、わけのわからない息苦しさは、「母が重い」という言葉でしか表現できない。
(信田さよ子『家族と国家は共謀する サバイバルからレジスタンスへ』角川新書、2021年)
処罰するわけではない。が、相手に罪悪感を覚えさせることで、相手をコントロールしようとする。相手の価値観をないものとする。相手の意思と自分の意思が同じであるかのような物言いをする。
父性が「俺の規律を破るなら処罰する」と罰することで相手をコントロールしようとするものであるなら、母性は「私の規範を破るなら見捨てる」と見放すことで相手をコントロールしようとするものである。