オーディション番組の審査員という名の「父」――『スター誕生!』
『夜のヒットスタジオ』が人気を博している最中、歌手の素顔を見せるだけでなく、最初から素人を出すという思想でつくりあげた番組が立ち上げられる。
それが『スター誕生!』(日本テレビ)だった。
70年代の『スター誕生!』(日本テレビ系、1971─83年。以下、『スタ誕』と略記)で阿久悠さんは審査基準として「下手を選ぼう」とおっしゃった。では「下手」とは何だろうということを考える。アイドルというのはめちゃくちゃ歌がうまいわけでもないし、超美人でもないし、スタイルがすごいわけでもない。するとやっぱり僕の考えでは「好きになってもらう仕事」だということですね。
(太田省一・塚田修一・辻泉編著『アイドル・オーディション研究 オーディションを知れば日本社会がわかる』青弓社、2025年所収の中森明夫インタビューより)
1971年は日本の女性アイドル文化が始まった年だと言われる。
というのも、しばしば日本初のアイドル歌手と語られる南沙織が17歳でデビューした年だからだ。時を同じくして『スター誕生!』が1971年から日曜の昼間に開始する。作詞家の阿久悠が企画・審査員としてかかわり、テレビ局が開催したオーディション番組である。
日本全国からやってきた華やかな芸能界でデビューすることを夢見る、だがまだ歌の力量は「下手」だといわれる少年少女たちが、次々と登場する。そしてデビューが決まっていく。ここから山口百恵やピンク・レディーが誕生した。
――そう、芸能界の立身出世物語をつくりあげた番組だった。
初代グランドチャンピオンとなった森田昌子(芸名は森昌子)は当時13歳。若すぎる。というかもはや幼い。その幼さに最初審査員も驚いたらしい。デビュー曲『せんせい』(1972年)は、学校の教師に対する淡い恋心を歌った。彼女の当時のキャッチフレーズは「あなたのクラスメート」。学校の同級生であるかのようなブランディングで彼女は人気者になったのだった(2)。
森と同じ年齢の山口百恵や桜田淳子も、10代でデビューし、人気になる。岩崎宏美、伊藤咲子、ピンク・レディー、石野真子。素人だったところから10代でデビューするようになる彼女たちは、いつしか「アイドル」と呼ばれるようになる。
(2)だが当時13歳だった森が予選会で歌ったのは、実は演歌『涙の連絡船』(1965年)で、そのギャップにスタッフは驚いたのだという。つまりは演歌というプロフェッショナリズムを必要としそうな曲を、当時10代だったアマチュアな少女が選んだからこそ、彼女は人気になったのである(『アイドル・オーディション研究 オーディションを知れば日本社会がわかる』より)。
