ファンコミュニケーションの元祖──西城秀樹と郷ひろみ
戦前、童謡少女歌手のあどけない歌声とともに家庭へ進出したレコード文化は、その40〜50年後、テレビを通して子ども向け若者向けに声を届けるようになる。
戦後生まれのベビーブーム世代が、ハイティーンになり、もっとも人口の多い市場になっていた。そうなってはじめて、フォークソングや演歌ではなく、欧米文化を背負った若者向けの「アイドル」が日本に登場した。その走りのひとつが、グループ・サウンズブーム(GSブーム)であろう。
GSブーム真っ盛りに始まった『夜のヒットスタジオ』(フジテレビ系列、1968~90年)は、音楽を聴かせるだけでなく、歌手の人間性に焦点を当てたことで人気を博した。沢田研二も登場した。そしてこの番組から人気になったアイドルといえば、西城秀樹と郷ひろみだ。
『ちびまる子ちゃん』の「ヒデキ」として知っている方もいるかもしれない、西城秀樹。彼は、ペンライトやゴンドラ、クレーンといった、今のアイドルのコンサート演出の開拓者であることで知られている。ちなみにライブでペンライトが使われるようになったのは、彼の1974年のコンサートが最初なのだからペンライトの歴史は古い(1)。推しがいると私達は客席を光らせたくなるらしい。ほかにも客席とのコール&レスポンス、武道館や野外でのライブ開催など、まさにアイドルライブ文化の元祖。西城はファンが主体的にライトを持ってきたり、ファンに光を当てたり、声をかけあったりして、ファンもまたライブの主役であることを強調したのだった。
彼の代表曲『YOUNG MAN(Y.M.C.A.)』(1979年)の原曲は、アメリカの「ヴィレッジ・ピープル」というグループが歌った曲。ちなみに元々このグループは同性愛者であることをコンセプトにしていたため、悩める少年たちを励ます曲でもあった(が、日本に輸入する際、そのような文脈は脱臭されてしまう)。西城は、アメリカの曲から文脈を変え「快活な青年の応援歌」として日本に輸入した。
一方、郷ひろみもまたファンとのコミュニケーションを重視する歌手であった。彼の芸名の由来は、まだ芸名がつく前の新人のひろみ(本名・原武裕美)が舞台にあがるとファンから「ゴーゴーゴーゴー レッツゴーヒロミ」と歓声を浴びたことによる。つまりファンから応援された、という感覚を名前に残す――それはまるで親からはじめての発表会を応援される息子かのような振る舞いである。プロの歌手としてというよりも、アマチュアな歌手だったころに、舞台上でファンから「応援」される少年だったこと。それを刻んだ芸名を彼は生み出したのである。
演歌の五木ひろしや森進一が成熟した歌唱で人気を博していた当時、ファンから応援される西城や郷はむしろそのアマチュアな青年らしさを人気の理由としていく。そして彼らの人気を支えたのは、『夜のヒットスタジオ』のような「素顔」を見せるテレビ番組だった。
(1)宮入恭平『ライブカルチャーの教科書 音楽から読み解く現代社会』(青弓社、2019年)は「もっと西城が評価されるべき」と語る。