ファンが「投票」してアイドルを選ぶ文化の萌芽
だが当時からこのオーディション番組に対して、世間は激しい批判を浴びせた。「人買い」「まるで奴隷市場の人身売買のよう」。阿久としてはオーディション番組で芸能界を透明化したいという意図もあったようだ(3)が、どちらかというと、少女たちを前に大人たちが「買うか買わないか」を審議している様子は、そこがビジネスの場であることを強調するようにも見えた。
この批判を避けるために、番組は「スタ誕ファミリー」という呼称で、番組にかかわる人々が、まるで家族団欒を過ごしているかのような関係性であることを強調するようになる(4)。
『スター誕生!』という番組は、デビューするアイドルたちにとって、「故郷」「家族」「親」そのもの……そのような言葉で語られはじめる。
その演出のひとつに、花の中三トリオと呼ばれた少女たちが「卒業コンサート」を開催したことが挙げられる。いまもアイドルがグループを卒業する際に「卒業コンサート」という言葉を使うが、これはまさにグループが母校であり故郷であることを強調する比喩であった。
アイドルとは当時、プロダクションという「親」にプロデュースされる少年少女であり、オーディション番組とはその商品を発見する場であった。だが普通にやっては大人が子どもをビジネスに使っているように見えるだけである(というかその通りなのだが)。だからこそオーディション番組を開催する審査員は、アイドルたちに対して自分たちが「親」的であることを強調する。実際、番組を見ていた中森明夫は阿久悠のことを「恐い」と述懐しており、まるで厳格な父親を語るような口ぶりで当時を語る(5)。審査員は、アイドルの父であり、スタッフは、アイドルの家族であるという設定で番組は展開された。
これによって、視聴者もまたアイドルに対し、審査員とともに成長を見守る親であるかのような感覚を持つ。まるで母親のように応援してしまい、番組のファンになる。
――このような構図は、たしかに現代のアイドルオーディション番組の人気に引き継がれている。
オーディション番組とは、単純にはやめにファンになってもらうためだけの仕組みではない。
テレビの中の審査員と「茶の間」の視聴者が、どちらもアイドルの成長を見守る「親」であることを共有するまなざしをつくりだす装置である。
『スター誕生!』は、ファンを審査員の視線に同化させるような仕組みを持っていた。後の、ファンがアイドルを批評する文化(6)や1990年代の『ASAYAN』に代表される、ファンが「投票」してアイドルを選ぶ文化の萌芽が、すでにこの時代に登場していた。
(3)阿久悠『夢を食った男たち 「スター誕生」と歌謡曲黄金の70年代』文春文庫、2007年
(4)太田省一・塚田修一・辻泉編著『アイドル・オーディション研究 オーディションを知れば日本社会がわかる』前掲書
(5)中森明夫『推す力 人生をかけたアイドル論』集英社新書、2023年
(6)太田省一『アイドル進化論 南沙織から初音ミク、AKB48まで』双書Zero、2011年