医学部は自分で稼ぐしかない

高野 そういう過剰な事務手続きが求められるのは、今も変わっていないですね。現実に即してゆるくなったところもありますが、ひどくなっていると思うこともあります。

養老 利根川進さんと、数学の広中平祐さんと、何かの会で一緒になって話したことがあります。広中さんは当時京大の教授で、テレビコマーシャルに出るという話があって、それで教授会に報告したと。コマーシャルに出るには教授会の了承を受けなくちゃならない。ところが、そのときの学部長が「いいか悪いかわからないから、預かりにして文部省に聞いてみます」って。それで、文部省に聞いたら、「そんなことは決まってないから、適当に判断してくれ」って、宙に浮いてしまった。結局、そのままCMに出たそうですが。そういうふうに、「これは規則に触れるんじゃないか」ってことを、常に考えながら生活してたんですよ。

養老孟司
(撮影:大河内 禎/写真提供:ビジネス社)

『人体展』もそうですよ。あんなことを公式にやろうと考えたら、大変なことになっちゃう。だけど、当時の大学はお金がないということは、はっきりしてたんです。特に医学部は医学部紛争の影響でいろんなことを認めてもらえなかった。だから自分で稼ぐしかないなと思って動き出してみると、規制が多くて動けないことに気がついた。これじゃダメだ。

僕もその頃は真面目だったんですよ。あの『人体展』だって東大で常設にすれば定期収入になって、解剖なんか楽だっただろうね。でも、そういうことがまったくできない世界だった。今は東京駅にも博物館が出張してたりしますけどね。ああいう展示はね、ある程度、害になるようなものじゃないとウケないんです。漫画が典型でしょ。今はサブカルとか言われて認められているけれど。