ヨメが立ち入れない結束感

子供たちはすくすくと成長し、そのうちおじさんおばさんになっても老いたマンマへの毎日の電話連絡は欠かさず、時間があれば会いに行くのは当たり前。友人はお母さんの体の具合が悪いと欠勤するが、会社側も「そうか、ママが病気か。それなら仕方がない。しっかりそばにいてあげなさい」などと受け入れてくれる。昨今、経済生産性の高い北イタリアなどでは少しずつ変化が見られるようだが、自分であろうと他人であろうと親が病気だと聞いて動揺しないイタリア人はほとんどいない。

ちなみにうちの姑と夫の関係もヨメである私など立ち入れないほど強烈な結束感で結ばれている。母子家庭で留守がちだったこともあるが、10代半ばであっさり親離れをしてしまった私にとって、最初の頃はこの親子の蜜月な関係が全く理解できず、むしろ姑の我々の生活への過剰な干渉や介入に耐えられなくなって、彼女が理由で離婚を考えたことは何度となくあった。

(写真はイメージ。写真提供:Photo AC)

今ではすっかり慣れて何も感じなくなったが、それでも母親の「息子大好き!」という胸中のエネルギッシュな露見は今でも変わらないし、海外を転々としていた息子も最終的には家族のそばに居たいとイタリアへ戻り、日に3度はある母親からの電話にはどんなに忙しくても対応している。

かつて姑の友人がヨメである私を褒めてくれた時も、傍にいた姑はすかさず「それはね、うちの息子が素晴らしいおかげよ、うちの息子は最高だもの」と言葉を挟んで、一瞬その場が静まり返ったことがある。それを夫に伝えると「へえ~マンマがそんなことを」という反応だけで片付けられてしまった。