二百三高地
当時の女子生徒に人気の髪型は、「二百三高地」と呼ばれる庇髪(ひさしがみ)であった。これは明治37年から38年(1905)の日露戦争で、陸軍大将乃木希典が指揮を執る第3軍が苦戦の末に陥落させた、ロシア軍の要塞が構築された「二百三高地」に由来して名づけられた。髪の中に綿などを入れてうず高く整形していくのだが、友達よりも高くするため、早起きをして長時間かけて手入れをする生徒が少なくなかった。
ところが、千代は「二百三高地」どころか庇髪を好まなかった。もう一つ千代が変わっていたのが、多くの女子生徒たちが庇髪に蝶結びのリボンを飾り付けたのに対して、それを拒絶したことである。
高女時代に生母の姉藤村カツの家に行ったとき、ピンクのリボンを付けられたが、千代は「鼠の尻っぽのような私の髪に、そのリボンが似合うとは思えなかった。むず痒いような気がするのを、私はじっとこらえていた」と言い、自宅に着くと「私は髪につけていたリボンを、急いで毟りとった」と回想している(宇野千代『生きて行く私』上)。
このように同級生たちと少し髪型や装飾品に好みの差はあったが、千代も岩国の「海老茶式部」であることに違いはなかった。
※本稿は、『宇野千代: 昭和モダニズムの伝道者』(NHK出版)の一部を再編集したものです。
『宇野千代: 昭和モダニズムの伝道者』(著:刑部芳則/NHK出版)
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