尾崎士郎との出会い

そのような思いで東京滞在を続けて半年以上が過ぎたとき、千代の人生を大きく変える出会いが生まれる。大正11年の暮れに作家の尾崎士郎と出会った。千代が1等となった『時事新報』の懸賞小説で2等だった人物である。両者を引き合わせたのは、尾崎と懇意にしていた評論家の室伏高信であった。ただし、千代は「中央公論社で室伏から尾崎を紹介された」、尾崎は「室伏が日本橋の鳥料理屋『浪花』で帰国のパーティーを開いてくれたときに千代がいた」、室伏は「銀座のすき焼き屋に千代を招待して尾崎に会わせた」、とそれぞれの回想が異なっており、具体的にどこで会ったのかははっきりしない。

千代は尾崎に一目ぼれした。その瞬間に、尾崎の「ぼ、ぼくが、そ、その、二等賞の尾崎士郎です」という吃音のある話し方や、「洒落た洋服を着ている癖に、ネクタイは半分ほどけそうになって」いたという着こなしまで、すべてが良くなってしまった(宇野千代『恋愛作法』)。

(写真提供:Photo AC)

尾崎は、大正11年3月から半年間を中国の上海で過ごし、帰国後は千葉県御宿海岸で生活していた。その後に上京し、本郷菊坂の菊富士ホテルに逗留していた。大正3年に開業した菊富士ホテル(昭和20年〔1945〕3月10日の東京大空襲で焼失)は、太平洋戦争中に閉館するまで、多くの文豪たちに愛された。

千代は尾崎が宿泊している菊富士ホテルの「梅の間」の隣の「竹の間」で寝起きするようになる。千代が書いたものでは、前述した4月頃に藤村忠と停留所で別れたのが、彼との最後になったという。