北原武夫との出会い
『スタイル』昭和12年(1937)2月号には、千代の最新刊である『別れも愉し』(第一書房、1936年11月)の広告記事が掲載されている。同棲していた東郷青児との生活に区切りをつけ、心機一転した心境が見て取れる。
千代が東郷に替わって求めたのが、作家の北原武夫である。北原は慶應義塾大学仏文科から国文科に転科し、昭和7年3月に卒業すると、『都新聞』に入社した。横浜支局で勤務し、昭和8年に作家の坂口安吾、井上友一郎、田村泰次郎らと同人誌『桜』を作り、翌9年に長編小説「悪徳の街」を連載した。それを読んだ千代が、北原に感想文を送った。
その後に北原は東京本社の文化部に転属する。そこに記者の日色恵(女優の日色ともゑの父)がいた。日色の提案で「現代女流作家探訪記」が企画され、昭和12年4月に北原は千代を取材することとなる。千代は北原に一目ぼれした。のちに「始めて会った北原に、私が魂を奪われるほど気をとられて、それから後は毎日毎日、北原に会うために『都新聞』の玄関まで行った」と回想している(宇野千代『しあはせな話』)。
北原は千代より10歳年下だが、経験人数は100人と豪語するほど女性が好きであるから、美貌の千代に誘われたら断るはずがなかった。あまつさえ、昭和12年3月に北原の妻美保子が結核で死去していたから、2人が結ばれたのは自然のなりゆきといえる。千代は北原に作家として独立することを勧めた。これを受けて同年6月に北原は都新聞社を退社し、作家として活動しながら『スタイル』の編集に携わることとなる。
