新しい時代の感覚

『スタイル』では、当時人気の俳優のグラビアや記事を毎号載せた。松竹三羽烏と呼ばれた上原謙、佐分利信、佐野周二など現代劇役者と、長谷川一夫、大河内伝次郎、山田五十鈴など時代劇役者と、邦画でも洋服と和服をバランスよく配分していた。そのなかでも、千代が一番好みだった女優が現代劇の桑野通子である。千代は桑野を「柔和な近代美」と題して次のように評している。

「「ウノさんは桑野通子お好きですね」人からそうはっきりと云われるくらい、私の桑野好きは古いのです。桑野通子みたいな肢体のキレイな人があるでしょうか。お顔も性質も洋服の好みもほめたいことばかりです」(『スタイル』1939年10月号)

とにかく絶賛である。桑野は昭和30年代に映画やテレビで活躍した桑野みゆきの母親、と言っても、知っている読者は少ないのではないか。桑野通子は『スタイル』でも取り上げられている高峰三枝子や高杉早苗などと並んで、清楚で可愛らしい女優であった。「美人薄命」の言葉の通り、桑野は昭和21年(1946)4月1日に子宮外妊娠による出血多量が原因となり31歳の若さで亡くなった。そのため、同時代を生きていた世代が少なくなった令和時代では、戦前の大スターである桑野の認知度は低くなってしまった。

桑野が主演を務めた昭和12年3月25日公開の松竹映画『桃子の貞操』と、同14年(1939)1月20日公開の松竹映画『向日葵娘』は、千代が『婦人公論』に連載していた小説を映画化したものである。『桃子の貞操』には千代も特別出演している。両作品とも桑野を主役にしているのは、原作者である千代の好みが反映されたと考えられる。こうした接点もあって、桑野は『スタイル』の誌面に度々登場する。

とくに一頁分を写真で飾るグラビアには何度も起用されている。その6回のグラビアのうち、回が洋服で、1回が和服である。当時の松竹映画を見てもわかるが、若い女性のよそゆきや職業婦人が着るものだった洋服と、家庭の主婦や花嫁候補が着る和服とが混在している。

和洋折衷で面白いのが、『スタイル』昭和11年9月号に掲載された桑野のグラビアである(写真)。胸元を大きく開けて、両袖が短いローブ・デコルテのようなドレス型の洋服を着ているように見える。しかし、この生地は和服に使用する手織銘仙で、柄は紺地に白の絣を抜いた純日本風であった。生地は銀座のミラテスが提供し、洋服は赤坂の水町洋装店が製作した。

一方で『スタイル』昭和11年12月号に掲載された桑野のグラビアでは、着物を着ているように見える。だが、これは高島屋が提供した洋服に用いる黒のクレープ織、黄赤緑の花柄模様のプリント柄であった。この着物は千代がデザインしていた。

千代は『スタイル』で、和服は和服地で、洋服は洋服地でというステレオタイプの価値観をなくし、和洋折衷による新しい感覚を普及させることを試みた。千代の好きな桑野は、その広告塔として起用されたことになる。

また昭和12年12月号から始まった「人気女優――お洒落訪問記」の初回ゲストにも桑野が選ばれている。さらに昭和14年1月号でも「桑野通子さんのお住居拝見」として、前回よりも詳しく家の外観や各部屋の写真を掲載して、桑野の生活空間に迫った。また桑野は昭和14年に銀座で1階にお汁粉屋、2階に美容院という「桑野通子の店」を開店したが、その店の宣伝広告も『スタイル』に載せている。

※本稿は、『宇野千代: 昭和モダニズムの伝道者』(NHK出版)の一部を再編集したものです。

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