外国生活の夢を売る
『スタイル』の販売実数は判然としない。当時の女性の月刊誌といえば、『主婦之友』と『婦人倶楽部』が人気を二分していたが、それらの成人女性用の服装に関する記事は和服の流行や仕立て方が占めていた。それだけ昭和戦前期は女性の和服の着用率が高く、洋服のそれが低かったことがわかる。
筆者が『洋装の日本史』で調査した結果、昭和12年5月の女性の洋服着用率は、若い女性を中心に26%であり、そこには未成年者のセーラー服が約80%含まれているため、それを差し引くと約5%しかない。もし読者が『スタイル』に洋服の情報を求めて購入していたとすれば、この着用率が購買力の最大限であったと考えられる。
『スタイル』には、洋画の女優や外国のモデルの洋服姿の写真が毎号使われているが、そうした洋服を当時の日本の女性たちが真似して着たわけではない。こうしたグラビアは、あくまでも外国のファッションやモードを紹介するものであり、それを見て憧れた女性がいたとしても、同じものを購入して着用することは難しかった。
そのもっともわかり易い記事が、石部日出男「自動車(くるま)のお値段」(『スタイル』1937年5月号)である。大正時代の初頭まで政府高官の乗り物は馬車と人力車であったが、大正9年から10年頃には中央・地方局長まで自動車で通勤するようになった。都市部の交通手段も、昭和10年頃までに人力車は後退し、円タクと呼ばれる自動車が台頭した。したがって、「自動車のお値段」は、こうした乗り物の変化を踏まえて、最先端の自動車状況を伝える意味を持っていた。
しかし、その値段を見たら、とても庶民の手の届くものではないことがわかる。円タクに使われた大衆車のシボレーやフォードでも、3700円から3800円はした。その上になると、ナッシュが4000円、クライスラーやビュイックが6000円であり、さらに高級車のパッカードが17000円、リンカーンとキャデラックが18000円という価格である。昭和8年の小学校教員の初任月給が45円から55円、同10年の巡査の初任月給が45円であるから、高度経済成長期に家電製品を紹介する記事とは意味が違っている。外国車など紹介されたところで庶民が手に入れることは夢物語である。
こうした理想と現実とを照らし合わせると、千代も「自転車に乗りませんか」とは勧めても、「自動車に乗りませんか」とは言えなかったはずだ。この理屈は高価な洋服や和服にそのまま当てはめることができる。つまり、『スタイル』で紹介する洋服や和服にも、理想としての夢と、現実的に実践できるものとが混在しているのである。