女性が自転車に乗るとき
創刊号の『スタイル』で、千代は「自転車に乗りませんか」という記事を寄稿している。そこでは、自転車に乗るときの服装は「短袖のセーラーに白ズボン? 膝っこぶの出るようなショートスカーツはどうでしょう? でもやっぱりあんまりアラレモナク見えないくらいの適度が好いのかも知れません。風をきって、ペダルを踏んで、あなたの可愛いい断髪は千切れそう」と語られる。断髪でセーラー服に白のズボンか、膝頭が見える程度のショートスカートであるから、若い女性が対象である。
自転車の乗り方については、「あんまり胸を張らないで、あんまりハンドルに力を入れないで。なに、ほんの一時間のお稽古ですぐに乗れるようになりますとも。若いおじさんか兄さんにちょっとうしろを手で持っていてお貰いなさい。大丈夫、まだ持っていると思う間に、すうっと走って了います」と、アドバイスする。元夫の藤村忠は第三高等学校の生徒だったときに自転車に乗っていたようだが、千代にはいつも徒歩のイメージしかない。しかし、ここまで言うからには、千代も自転車に乗れたのだろう。
仮に千代が自転車に乗れたとしても、その記述が発見できない理由は、彼女の自転車の使用方法にあった。その独特な使用方法は「ちょっと自転車でお使いに、なぞと思ってはいけません。自転車はただハイキングのときだけです」という。女性が自転車に乗るのは日常生活ではなく、避暑地におけるハイキングという非日常に限っていた。
この独特の用途は、昭和期に活動する「職業婦人」のような新しい女性と、明治期までの「良妻賢母」の礼法を遵守する古い女性との中間的な考え方が読み取れて面白い。
千代が高女に通っていた頃には、日本全国で自転車に乗るのは男子生徒だけで、女子生徒の自転車通学を快く思わない高女が少なくなかった。大正8年から始まった生活改善運動の影響で、洋式制服などを取り入れる高女が登場するのと軌を一にして、女子生徒の自転車通学姿も見られるようになる。ところが、その過程においては、女性は自転車に乗るべきではないと考える保護者が少なくなかった(拙稿「セーラー服の普及と生活文化」)。
千代はそうした保護者の考え方と、生活改善運動を実践する女子生徒の考え方の中間に立ち、その用途を日常生活ではなく、ハイキングという非日常に限っていたのではないか。ある意味で気を遣ったかに見える「自転車に乗りませんか」であったが、現実には高女の通学手段として自転車は普及し、日常生活で乗る若い女性も増えていった。
昭和18年(1943)2月15日に発売された「お使いは自転車に乗って」という歌謡曲がヒットするのも、そうした社会現象をあらわしていた。この歌を歌った宝塚少女歌劇団の女優轟夕起子は、『スタイル』の誌面によく登場している。戦時中には女性も男性と同じように自転車のペダルを踏むことになる。千代の「自転車に乗りませんか」は限定的な用途であったが、女性の新しい生活スタイルを提言したことは間違いなかった。