
戦後、海上保安庁で日本周辺の掃海任務にあたっていた浦賀だが、ある日、緊急電により下関へ向かう。そこには多数の掃海艇が集結していた……。当時の日本の難しい立場を背景に約三十年も秘された事実をもとに、日本人にもっと知ってもらいたいと願う直木賞作家の著者が、全力で挑む歴史大作、ここに開幕!
国連軍は反攻を開始した。
九月一五日には艦艇二六〇隻余りの支援のもと、兵員七万人が朝鮮半島西岸の仁川(インチョン)に奇襲上陸した。上陸部隊はそのまま、目と鼻の先にあるソウルへ進む。呼応して、釜山の防衛線を固守していた部隊も攻勢に移った。
補給不足に加えて後背の仁川を衝かれた朝鮮人民軍は、なだれをうって後退した。上陸から二週間のうちに国連軍の上陸部隊と釜山防衛部隊は合流に成功し、またソウルを奪還した。
「攻守が入れ替わった半島の戦況とは別の要因で、二復グループの動きが活発になっている」
松原は言い、ウイスキー・ソーダを口に含んだ。銀座のバーにある小さな個室は、悪だくみでもやってみたくなるほど照明が暗い。
二復グループとは、旧第二復員省に所属しながら、プライベートの時間で海軍再建の計画を練っている人々を指す。
「警察予備隊に旧軍人は採用されない。だからか」
内海の問いに、松原はグラスを置いてから、うなずいた。
朝鮮戦争が始まると、日本にいた進駐軍は片っ端から朝鮮半島に投入されていった。軍事上の空白地帯となった日本に対し、マッカーサーは警察力の増強を指示した。
こうして八月初旬、警察予備隊が発足する。実質は軽装備の軍隊だったが、発足の準備は国家地方警察本部が行った。長官は旧内務省で警察畑を歩んだ人物が就任し、局長以下の役職者も警察を中心とした各官庁から出された。
発足に前後して、旧日本陸軍出身者の一部が入隊を画策していた。だがGHQで日本の民主化を担う幕僚部民政局が強く反対し、警察予備隊での旧軍人の排除は既定路線となりつつある。
「二復グループの案は、他のやつらが作っている夢物語よりずっと現実的だ。座長格は海軍の中枢たる海軍省軍務局のもと課長だし、第二復員省での職務上、人事から戦訓まで、海軍から引き継いだ各情報を好きなだけ参照できたから、当然ではあるが」
松原と内海は、海軍再建をもくろむ各グループの動きを探っている。もし再建が現実の話となれば、政府は実現を託す人物なり集団を選ばねばならない。そのための下準備である。
松原が二復グループを担当しているのは、同じく第二復員省に所属していた経歴があるからだ。じかに接触してはいないが、漏れ聞こえる噂を耳ざとく収集している。
「二復グループ自体はわりかし純粋な人たちだ。自分たちの再建案が国家に用いられる機会を実直に待っていた。その計画のミソは旧海軍軍人の登用を前提としている点にある。フネを動かすにも飛行機を飛ばすにも専門知識がいるから、素人集団での再出発は不可能、というしごくまっとうな理由なのだが」
松原はいったん言葉を切り、煙草に火をつけた。
「最近、佐官から将官級の旧海軍軍人が頻繁に二復グループのメンバーと会っている。俺に言わせれば、こいつらは動機が不純だ。公職追放で無職に追いやられたままだから、新海軍で職を得ようとしている。警察予備隊のごとく、新海軍から旧軍人が排除されては困るから、つまりは就職活動のために二復グループを焚きつけている。二復グループのほうも、こちらはこちらで警察予備隊を海軍再建の好機ととらえたか、政府要人に自分たちの案を配布する用意を始めている」
ふむ、と内海はうなった。その手元では、まだ口をつけていないグラスが水滴に濡れている。
「就職活動という動機では、俺がお会いしている野村大将も同じだ」
野村大将とは海軍の重鎮、野村吉三郎のことだ。海外経験が豊富で、アメリカの海軍高官と外交官にも広く顔が利く。正しくは「もと」大将だが、煩わしさのために松原と内海の話では省かれている。
「野村大将は、俺のような無職の旧海軍出身者をふたつの意味で心配している。ひとつ、俺たちの生活。ふたつ、俺たちが自暴自棄になって叛乱でも起こしはしないかという危険性。海軍再建でこの両者を解決できると考えておられる節がある」
「内海が叛乱を起こすとは信じられんが」
「もちろん俺個人にそんなつもりはない。だが俺とて岸井閣下が用いてくださらねば、どうしていたか分からん。人間は職によって生活費だけでなく、自尊心も得ている。暮らしも誇りも立たず、やることもないのなら、自暴自棄にもなる」
寂しげな目をした内海に、松原は問いを重ねる。
「野村大将は吉田総理と縁が深かったが、どうだろうか」
「総理は近ごろ、野村大将を遠ざけておられる。警察予備隊ができる以前、大将は陸軍穏健派の長老と手を組んで再軍備の運動をしていたからな。――日本は警察予備隊によって再軍備の道に一歩踏み入れた。引き返しても進んでも、講和に大きく影響するだろう。総理が近づける人を選ぶのも無理はない」
松原は一度しか会っていない吉田茂総理大臣の顔を思い出した。体躯はふくよかで、剛毅な為人(ひととなり)は世間でも知られるところだったが、小さな眼鏡の奥にある目は、潮目や天候を読む熟練の航海士に似ていた気がする。
「講和か」
朝鮮戦争が日本にもたらした大きな変化の一つについて、松原は小さくつぶやいた。
第二次世界大戦が終わって五年、終わりを正式に宣言する講和条約はまだ締結されていない。
終戦後、まず戦勝国は、重い賠償を課して日本を懲罰し、また工業生産力も縮小させて再度の軍事大国化を阻止しようとした。やがて冷戦が顕在化すると、アメリカとソ連が講和方針の決め方という形式論で揉め、講和は棚上げとなった。
その後、アメリカ国務省が冷戦構造を見すえた講和を構想した。ある程度の経済力を持つ西側陣営の一国として日本を迎え入れるというもので、寛大な賠償と西側諸国との早期講和を主張した。
ただしアメリカの内でも国防総省とマッカーサーがそれぞれ異なる思惑があり、国務省案に承知しなかった。オーストラリア、フィリピンなど日本と激しく戦った太平洋の西側各国も、自国の安全が担保されず損害の賠償もされない講和には反対だった。
再度停滞した講和は、朝鮮戦争によって一気に加速する。西側各国とアメリカ各勢力は国務省案をおおむね支持し、国務省特使は最終の詰めに回っている。
かたや日本の世論は、かねてからアメリカおよびその友好国とだけ講和する部分講和、ソ連を含む全交戦国と講和する全面講和で二分されていた。部分講和は日本の西側入りを、全面講和は永世中立国化を含意していた。
朝鮮戦争勃発の直後に第八回国会が開会された。吉田茂総理大臣は施政方針演説において、自由主義国の一員となることで国家の安全が保障されると説き、部分講和の方針を鮮明にした。
「日本は」
松原は言った。
「一日も早く再独立を果たさねばならん。まだ途上にある経済復興のため、なるべく賠償は小さくしたい。目と鼻の先で戦争に至った東西冷戦の状況下、独立後の安全保障も担保せねばならん。難しい立場だな」
内海はうなずいた。その仕草には、どこか祈るような気配があった。 〈つづく〉
