郡山城の修築で「人民の大悩」

大和に入った秀長は郡山城を本拠としました。

さらに、同城の修築を行なっています。

根来寺の大門を郡山城の門とするために毎日、大和国中の人夫が動員されたこともあったようです(『多聞院日記』天正15年3月6日条)。

(『豊臣兄弟!』/(c)NHK)

そのため「人民の大悩」(民衆の迷惑、大きな悩み)になったと同書にはあります。