「生の尊さ」を掴みなおす

元々、フェミニズムは働く女性のみをエンパワーメントするものではありません。そこに自覚的な意識があるかをジャッジしたり、権利のありなしを決めるものでもありません。女性のみでなく両性が自由に生き、自身の権利と尊厳を大切に、幸せに暮らすことを目指したもの。

そう、どんな生き方をするのも、それぞれのお嬢様の自由。そこに幸せと自由意志があれば「私はこうだ」と言ってやればいいのです。そしてその中でも河野裕子さまは「私はこうだ」という力に満ち溢れた歌人であったと言えましょう。

しつかりと飯を食はせて陽にあてしふとんにくるみて寝かす仕合せ

ここには専業主婦として家族のケアをする幸せを描いています。「食はせて」「くるみて」「寝かす」と、主体が主導権を握っている動詞にも注目すべきでしょう。まるでこの家庭の平和と安寧は、私が握っていますというようなその自信にわたくしめは尊いものを感じます。 

 
一時期、24時間営業の専業主婦の年収は1000万円、という言説が流布し、また逆に家電がこれだけある今の専業主婦にそんな生産的な価値はないという反論まで出る始末。大事なのは年収的な価値でも生産的な価値でもありませんよね。外に働きにいくのであれ、家庭内で過ごすのであれ、その女性が、自分の生を全うして、満足感を感じられるという状態そのものが尊いのでございます。生きているだけでギフト。そんな感覚が年々薄まっていると感じるのはわたくしめだけでしょうか……。