「母のことを知りたい」という感情がはじめて芽生えたのは、成人式を終えた頃だった。
家から離れた興信所を探し、中年の男性に手がかりの住所を教えると、「温泉地だから仲居さんでもしてるんでしょう」と勝手な想像を口にした。しばらくして渡されたメモには、関西のある地名が記されていた。
後年わかったことだが、それは母の両親の本籍地というだけでなんの意味もなく、あのうさんくさい男は20歳の小娘をいいカモにして、紙切れ一枚で調査料の8万円を巻き上げたのだろう。
虚しさと、継母に隠れて申し訳ないことをした後悔から、私は自分がしたことのすべてを継母に打ち明けた。いつの頃からか継母とは、親子の枠を超えて女友達のように話ができる関係になっていた。
昭和の男性像そのままの父に苦労する継母の人生も、実母と同様、悲しい色合いに満ちていた。「あんたも親の離婚がなければこんな思いすることなかったのにね。可哀そうに」と悔しそうに言った。