電話で話したのは3回。そうして役所から母がもう長くないことを告げられた。会っておいたほうがいいと思います、と役所の人は言い、危篤になったときの対応を聞かれた。
継母に「会いたかったら行ったらいい」と背中を押され、私は兄に連絡をとった。私たちは生まれてはじめて、母のことを話題にした。
「おれは会いにはいかん。いままで育ててくれたお母ちゃんが、おれのお母ちゃんや。せやけどお前が行くなら、おれが北陸まで乗せて行ったる。おれは車のなかで待っている」
意外な言葉だった。母と別れたとき、兄はもう4歳だったのだ。だから、私以上に会いたがっているものと思っていた。
「あのな。もう一人お母ちゃんがおってん。お父ちゃんが、そのお母ちゃんを叩いてん。パチーンって大きな音がしてん。ほんでお母ちゃんがおれへんようになってん」
そう兄が言ったと親類から聞いたことがある。幼い目に焼き付いた光景。どれほど深い傷になっただろう。ミスT県に選ばれた母。母に惚れて求婚した父。なぜこんな悲しいことになったのか。いまの時代なら「親がバツイチで」と楽に話せたかもしれない。でもわが家ではできなかった。
幼い頃は兄にくっついて、なんでも真似をしていた私。結局、兄が行かないなら、とあの頃にかえってしまった。生きていようと死んでいようと、心は常に母と一緒だ。いままでもこれからも。それで後悔はないかと自問自答し、結論を下した。
私も還暦を過ぎた。母に続いて継母も亡くなり、折に触れ、2人の母に話しかける。いつも見守ってくれてありがとう、昔の苦悩が嘘のように、いまとても幸せだよ、と。
いつの日か迎える私自身の死。そのときやっと私は母に会える。その頬に触れ、手を握り、お母ちゃん、と甘えてみたい。
継母なら許してくれるだろう。そして継母には100万回のありがとうを伝えたい。それまで悔いなく生きるのだ。