湯ヶ島で聞いた報らせ
でも、芥川さんは、一体どうして自殺したんでしょう。わたしはその報らせを湯ヶ島で聞いたように思うわ。そう、昭和2年ですか……。尾崎士郎さんと一緒の頃……。
今東光から聞いた、葱の話を小説の材料にしたくらいだから……もしかしたら材料に困っていたんでしょうか。
小説家が自殺したいような気持になるのは……やっぱり作品に行き詰まったときでしょうねぇ……。わたしは、一度も自殺をしたいと思ったことはないわ。心中も、小説には書いても、憧れたことはない。
※本稿は、『宇野千代 ちょっと自伝』(マガジンハウス)の一部を再編集したものです。
『宇野千代 ちょっと自伝』(著:宇野千代、文:三宅菊子/マガジンハウス)
NHK朝ドラ『ブラッサム』主人公のモデル、宇野千代
本人の語り下ろしと、70点を超える貴重写真が1冊になった!
宇野千代のしなやかでまっすぐな「生きが好い人生」をお楽しみください。
出典=『宇野千代 ちょっと自伝』(著:宇野千代、文:三宅菊子/マガジンハウス)
宇野千代
小説家、編集者、着物デザイナー
1897(明治30)年、山口県岩国市生まれ。小説家、編集者、着物デザイナー。 岩国高等女学校卒業後、小学校代用教員などを経て、1921年に『脂粉の顔』が「時事新報」懸賞小説の一等に当選し作家デビュー。尾崎士郎や東郷青児との恋愛・同棲、北原武夫との結婚・離婚など、波乱万丈で自由奔放な生き方は時代を超えて多くの人を魅了した。 作家活動にとどまらず、日本初の女性ファッション誌『スタイル』を創刊し、また着物デザイナーとしても幅広く活躍。1957年に名作『おはん』で野間文芸賞および女流文学者賞、1982年には菊池寛賞を受賞。100万部を超えるベストセラーとなった自叙伝『生きて行く私』をはじめ、情熱的でしなやかな人生観を綴った多くの作品を遺し、98歳で没するまで精力的に執筆を続けた。
三宅菊子
フリーライター
1938年、東京都生まれ。1965年頃からフリーライターとして主に女性誌で活躍。祖母・三宅やす子の代から宇野千代と親しく、雑誌『クロワッサン』に宇野の聞き書き『宇野千代 振袖櫻 ちょっと自伝』を連載した。著書多数。