生き残った罪悪感は生涯消えず
父を見送ってから施設の父の部屋を片付けようとしたら、食堂の紙ナプキンや、ビリヤードルームに置かれた点数を書くための紙に歌を書きつけたものが大量に残されていました。亡くなる直前まで、日々の思いを歌にし、その日の出来事もメモしていたんです。
入所した当初は1日に10首くらい。だんだん減ってはいましたが、4月に入っても歌を詠んでいました。
それを見ると、孤独感や、自分が恵まれた施設でぬくぬくと暮らしていることへのジレンマが窺えます。
教え子たちもみんな先に逝ってしまったという思い。そして戦争中、多くの仲間が戦地で散っていったのに、自分は出征したものの生き残ったという罪悪感も、生涯消えることがなかったのでしょう。特攻隊が飛び立った鹿児島県の知覧に、父の歌碑があり、次の歌が記されています。
わが心の深き據(よ)り所(ど)ぞたゞ寡黙に若き命を去りゆきし友
兄も僕も、週末には子どもたちも父のもとを訪れていました。時には犬好きの父のために犬を連れて行くことも。伊豆にいる頃よりも、頻繁に会えていたはずですが、それでもやはりわびしく思い、孤独感があったのでしょう。