巧みな「心理トリック」で監視を無力化

この「尾行まき」の現場においてプロたちが実際に使用していたのが、アナログながらも極めて効果的な「心理的トリック」であった。

たとえば車で尾行されている際、路地を急カーブで曲がるなどして、追跡側の車から一瞬だけ自車の姿が見えなくなる「死角」が生まれる瞬間がある。オフィサーはその一瞬の隙を突いて、走行中の車から素早く外へ飛び降りて身を隠すのだ。

その間も車は走りつづける。そして運転を担当する相方は、空いた助手席にあらかじめ用意していた人間の上半身型のダミーを立てる。

追跡する捜査官は、離れた位置からフロントガラス越しに車内を監視しているため、助手席に人影らしきシルエットさえ見えていれば、ターゲットがまだ車内にいると思い込んでしまうという手法だ。

驚くべきことに、このダミーは精巧な人形などではなく「ただの薄い板」だったという。だが、人間の思い込みを利用したこの単純な仕掛けは、ときに何時間にも及ぶ監視網を無力化した。

派手な秘密兵器ではなく、人間心理の盲点を突く――。それこそが、プロたちの「トレードクラフト(工作技術)」だったのである。

なお、元CIA局員のジョークによれば、スパイ人生でもっとも激しいカー・チェイスが繰り広げられるのは、敵との攻防ではなく、毎朝のCIA本部駐車場での「場所取り競争」のときだという。