小栗が語ったこと

ペリーの再来航を受けて、小栗は日本も洋式船で海外に出て積極的に通商貿易を行うべきだと語ったという(大坪指方・穂積驚『小栗上野介』)。

ペリー再来航時の幕府では、海防参与徳川斉昭(前水戸藩主)は、外国船が日本に来て通商を行う「内交易」は決して許してはいけないが、日本が貿易船を建造して外国に出かけて日本の商品を売るという「出交易」ならばよいと主張した。

(写真はイメージ。写真提供:Photo AC)

一方、ペリー再来航に対処した老中松平忠優(まつだいらただます)(のち忠固。上田藩主)は、「内交易」も含めた交易開始を主張し、斉昭と対立した。忠優は3〜5年後には交易を開始するという確約を条約に含めるべきだと主張した(関良基『日本を開国させた男、松平忠固』)。しかし、最終的に阿部正弘が交易不許可を決定した。

幕府の日米交渉の基本方針は、薪水給与のみを認め、交易は認めないことにした。日本の代表林復斎(大学頭)は第一回交渉で交易を認めない方針を明言すると、ペリーはそれを受け入れた。ペリーは漂流民の人道的支援と薪水給与が保障されることを交渉の第一目的であると告げた。ペリーが交易問題で譲歩したため、交渉は日本が有利に進められた(前掲『日本を開国させた男、松平忠固』)。