現在放送中の、連続テレビ小説115作目『ブラッサム』。本作のモデルは、明治から平成まで激動の時代を駆け抜け、生涯にわたって数多くの恋愛と結婚、離婚を経験してきた宇野千代です。同じ時代を生きた男性作家たちは、彼女にまつわるエッセイや、彼女をモデルにしたと思われる小説を書き残しています。そこで今回は『宇野千代をめぐる男たち』より、室生犀星のエッセイをお届けします。
宇野千代(『黄金の針』より) 室生犀星
明治30年(1897年)11月28日、山口県玖珂(くが)郡岩国町大字川西で宇野千代は生れた。父、俊次の長女、俊次の妻トモは、25歳、父43歳であったから18も若い娘であった。
明治37年(1904年)岩国町小学校に入学、7歳、幼なくしてすでに美貌、人に愛せられることを知った。
明治43年(1910年)13歳、岩国高等女学校に入学、大正3年に卒業、4月に川下村小学校に始めて教鞭を執った。宇野千代が学校の数師をしていたということは、秋になって辞職したことで既にその人でなかったことが証明されている。「年譜」によると19歳で朝鮮京城に渡ると記し、「これより若き日の放浪始まる」とあって、何の為に渡鮮したかも詳記されていない、その翌年に京城から帰郷、京都、大阪を彷徨とあるだけで矢張り何事も誌(しる)されていない。
大正6年(1917年)20歳、関西より上京、芥川龍之介、久米正雄、滝田樗陰と知るとある。滝田樗陰は当時『中央公論』の編集長であって、飛ブ鳥モ落トス威勢のよい人であった。