足利義昭に働きかけて和睦を模索

秀長は毛利氏の領国である備後国鞆(福山市)に居住していた足利義昭(室町幕府15代将軍)に働きかけて島津氏との和睦を模索していました(義昭は書状を島津氏に発給しています)。

『秀吉と秀長 天下統一の軌跡』(著:濱田浩一郎/内外出版社)

秀長は九州下向への途上、鞆で義昭と対面したと考えられています。島津氏への対応を協議したのでしょう。

天正15年(1587)12月、義昭は大坂に赴き秀吉に臣従することになりますが、義昭は秀長に秀吉への取り成しを依頼しています。

九州征伐の際に生まれた縁により、秀長は義昭の取次を務めることになるのです。