「人生は思い通りにならない」をデフォルトにしてみよう
そんな私も、母が近年認知症の兆候を見せ始めたときは、「お母さんどうしたの、しっかりしてよ!」と何度も彼女を責めてしまいました。母と言えば聡明な人、というフォーマットができ上がっていたので、そのあり得ない展開に動揺したのです。今は深く反省していますが、その反応も、きっと自分の思い描く母の姿との乖離を受け入れられなかったからだと思います。
現代の日本は「不条理」をはじめ「失敗」も「屈辱」も生きていくうえで必要のないもの、知らないほうがいいもの、という社会環境になっています。でもそれは、人間が本来もっている強さや臨機応変性や適応能力を脆弱化させていくことになる。
「人生とは目的を掲げ、それを成就するための計画を練り、全うできるように頑張るのが正しい生き方」「夢や希望にむかって突き進む人は美しい」という思い込みに囚われしまうと、様々な事情でそうならなかったときに、自分に大きな失望を抱くなど、大変な思いをすることになるでしょう。家族の期待に応えることも喜ばすことのできない自分を恥じ、社会に適応できない自分を恨み、自らを追い詰めてしまうことにもなりかねない。しかし、そもそも人間の人生とは思い通りにならないものであり、どんな顛末も現象も起こり得るということを理解していれば、もっと楽に生きていけるはずなのです。
パンデミックのストレスなのか、昨今の人々は小さなことに深く悩んだり人を傷つけやすくなっている傾向が強くなっているようですが、切羽詰りそうになったとき、社会も人間もそう思い通りにならないのが人生だ、と思い出してみるだけでも、いくらか前向きになれるはずです。
まあ、たしかに私のように「人生は思い通りにならない」ということをデフォルトにしていると、素敵な出来事があっても疑念を抱き斜めから見てしまうようになって、なかなか両手を挙げて喜んだりすることができなくなってしまいます。
漫画がヒットしたときも、賞をもらって大勢の人から祝福されたときも、「いやいや、これは何かがおかしい、喜んじゃいけない」と訝しんでいましたし、子どもからも「どうするのさ、あんな漫画でこんなことになってしまって」と不安がられてしまいましたが、今となってはもう少し素直に喜んでおけばよかったかもしれません。
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