どうにもならないことが世の中にはある

では、何も用心せずに暮らしているかというと、そうでもないんですけどねえ。私は安全な状態が当然であるとは思っていません。常に最悪を想定し、安全はできる限り自分の力で確保すべきだと思っています。

私はこれまで、アフリカなど、発展途上国に何度か足を運びました。50歳を過ぎてから、アルジェリアからコートジボワールまで約3000キロ、車で旅したこともあります。

アフリカは貧しくて不潔な環境の場所も多いし、あらゆる感染症があるのがあたりまえの世界です。

旅先でさっぱりした食べ物があると同行者が喜んでくれるので、修道院でビンを借り、よく野菜の浅漬けを作っていました。日本からトウガラシと昆布を持っていけば、現地の野菜と岩塩で簡単に作れます。ただし野菜を洗う水ひとつとっても、水道水というわけにはいきません。どんな病原菌が含まれているかわからず、信用できないのです。かといって、ミネラルウォーターもないので、いったん煮沸して冷ましたものを使います。

サハラ砂漠で野営もしましたが、夕暮れ時になると、10キロ、20キロ以上先からこちらに向かってくる車のヘッドライトが見えることがあります。それは、もしかしたら武装した強盗かもしれません。そんな時、私は小心ですからわざと同行者たちから離れたところに立ちます。一挙に撃ち殺されないためです。もちろん、相手が強盗だったら、そんなことをしても無意味ですが。でも万が一の時に備えて、常に靴の中に10ドル紙幣を何枚か隠しておくことも忘れなかった。財布を盗られても、隠し持った多少のお金があれば、「ここに連絡してください」と誰かに頼めるかもしれないからです。

日本では考えられないようなことが平気で起きる場所を旅してきました。人はどこで命を落とすかわかりません。私はたまたま運がよかったから、無事に日本に帰ってくることができたのです。安全を確保するために、自分の力で防御をしたところで、どうにもならないこともある。そう思って、この歳まで生きてきました。