日常生活から「死」を遠ざけない
今回のコロナウイルスがこれほど人を怯えさせるのは、「死」の影が見えるからかもしれません。しかし死をもたらすのは、何もコロナウイルスだけではありません。私のまわりでは、昨日まで元気だった方があっという間に亡くなった例がたくさんあります。病気で亡くなった方もいれば、事故のケースもある。寿命というのは、わからないものです。
そもそも最近の日本人は、日常生活から死を遠ざけすぎです。死について考えない。それが、大きな問題だと思います。
私は幼稚園の頃から、カトリックの教えを学んで生きてきました。「アヴェ・マリアの祈り」の最後の一節は、「神の聖母マリア、私たち罪びとのために、今も、死を迎える時も、お祈りください」。要は、人としてちゃんと死ねるようにしてください、ということです。これを1日に何度も口にし、祈るように育っているんです。
もちろん5歳や6歳の子どもに、死が何であるか、理解することはできません。わからなくても、祈り続けているうちに、死について考える人間になります。
私は、死について考えた結果、「わからない」という答えに達しました。よく人から、「死とはどんなものでしょう」と聞かれますが、「さぁ、私は死んでないからわかりません」とお答えしています。
死は誰にでも訪れるもので、逃れようがない。恐れても仕方のないものは、恐れない。わからないものに怯えても、意味がない。そう考えているのです。