前作は山田耕筰だった
戦前と戦後とで教育制度は大きく変わった。昭和23年4月には学制改革(6・3・3・4制)により、新制高等学校が発足した。これにともない「全国中等学校優勝野球大会」は「全国高等学校野球選手権大会」と名称を変更し、また第30回目という節目の年であったため、新たな大会歌を作ることとなった。
朝日新聞社が歌詞の募集を行ったところ、5252編のなかから加賀大介の詩が最優秀作品として選ばれた。「全国中等学校優勝野球大会」の大会歌は山田耕筰が作曲していたが、朝日新聞社内では「今度は若手の作曲家」にということで、古関に白羽の矢が立った。7月頃には、朝日新聞学芸部の野呂信次郎から依頼の連絡がきた。野呂とは、インパール作戦の従軍で一緒だった。