そこで私も、「家族という大きな重荷から解放されて自由になったのだ」と気持ちを切り替えました。「必要とされていないのなら、私も勝手にやらせてもらうわ」って。18年前に夫も見送りましたし、今は気楽な一人暮らし。自分のことだけを考えていればいい、なんて夢みたいに幸せなことでしょう。最初こそ強がりだったのだけれど、今は、家族のなかで自分のポジションを変えるのは大切なことなんだ、と実感しています。
もう私は「心配されるほう」の人なのだから、なによりもまずは健康であること。自立して暮らし続けるのが、子どもたちにしてあげられる最大のことなのだと悟りました。「病は気から」とよく言うけれど、あれは本当。あのままでは心が免疫力低下に引っ張られて、体調まで崩してしまっていたでしょう。心と体が直結していることをまざまざと思い知らされた出来事でした。
手術の跡は見えないように
今でこそ風邪もめったにひかない「健康優良児」で通っていますけれど、ここに至るまでは山も谷もありました。私にとって大きかったのは、48歳の11月に乳がんが発覚したこと。検査の結果を聞いた時は、まさに青天の霹靂で、それは落ち込みましたよ。でも、50の大台が近づいて急に冷え性になったり、疲れやすくなったりして「なんだか調子が悪いな」と感じていたので、納得するところもあったんです。
ともあれ年明けすぐにコンサートが控えていたので、ぐずぐずしちゃいられない。手術を受ける決断をし、ピンポン玉くらいの大きさの腫瘍とともに左の乳頭を一部摘出しました。術後2日目からの厳しいリハビリを経て、退院した翌日にはステージに立っていたの。コンサートの予定と、夫や娘たちの全面的なサポートがなかったら、あそこまで頑張れなかったでしょう。
主治医の先生も協力的で、コンサートでは胸の開いたドレスを着ると言ったら、「ドレスのラインがどこまでくるか、肌に油性ペンでしるしをつけてください。手術跡が見えないようにうまく切りますから」って。おかげさまで、完璧でした。「左胸がティーンエイジャーみたいに可愛くなったから、右胸も垂れた部分を取り除いてもらおうかしら」なんて言って、笑う余裕もあったのよ。
あの時、病気を経験してよかったと今は思える。そうでなければ、私は健康管理に無頓着なままだったでしょう。