「ほかに道楽はない。ただ、食物だけは、多少ぜいたくをさせてもらっている」と記した沢村貞子さん(昭和35年)

「ぜいたく」は自分の背中を押す小道具

献立日記を読んでいると、おのずと「毎日の繰りまわし」という言葉が浮上してくる。身を粉にしてくるくる働き、家計をやりくりし、四季に寄り添いながら今日のお膳を調える姿が目に浮かぶ言葉。勤勉さ、けなげな工夫や知恵、生活者としてのささやかなよころび。戦前戦後をつうじて日本人の生活を支えてきたのは、「毎日の繰りまわし」に宿る精神に思われる。たとえば、こんな献立の三日間にも。

昭和四十一年
10月9日 日
栗ご飯
牛肉のおろしあえ
野菜ごま煮
豆腐の味噌汁
10月10日 月
鳥から揚げ
肉、大根、里芋煮つけ
五色なます
ねぎ、油揚げのかす汁
10月11日 火
さんま塩焼き
いんげんのおひたし
煮豆
さつま汁

とりたててなんということのない内容に見えるけれど、まことに奥行きがある。季節があり、変化をつける趣向の工夫があり、台所に立つ楽しみと食べる楽しみがあり、そして三日間はのりしろで貼り合わせられながら繋がっている。だからこそ、ごくあたりまえの慎ましやかな味噌汁がきらきらと輝いて映るのだ。ちなみに、味噌汁の存在にことのほか意味を見出して「おみおつけ」と記しはじめた最初は、昭和五十七年五月三十一日である。

とはいえ、ただ質素なだけではなかった。本書に「ぜいたく」と題した一文があるが、出入りの魚屋から買う新鮮な魚介は惜しまなかった。

「ほんとに──ほかに道楽はない。住むところはこぎれいなら結構。着るものはこざっぱりしていれば、それで満足。貴金属に興味はないから指輪ははめないし、貯金通帳の0を数える趣味もない。いわば、ごく普通のつましい暮らしをしている。ただ──食物だけは、多少ぜいたくをさせてもらっている。(中略)こちらはなにしろ庶民だから、あんまりぜいたくなものを食べたりすると、今日さまに申し訳なくて気がひける。そんなときに──まあいいでしょう、ダイヤの指輪一つ買ったと思えば──と自分に言いわけするのが癖になっている。おかげで、いつも、気楽においしいものが食べられる、という仕掛けなのだけれど──ちょっと、おかしいかしら。」

骨の髄まで沁みこんだ「今日さまに申し訳なくて」がなんだか愛らしい。「ぜいたく」という表現は、日々の食卓に緩急をつけるとともに、役者稼業に精出してせっせと働く自分の背中を押すための小道具でもあったろう。そして、明治生まれの女は苦難を乗り越えていっしょになった夫を徹底的に立てた。

「いつも、玄関に置く二人のサンダルも―あなたのものは、キチンと、真中にそろえておかないと「履きにくい」と、眉をひそめる人だったから―洗面所の、あなたの手拭も、かならず、上座……引き戸をあけてすぐのところにかけておくように、気をつかったものです。
とにかく几帳面で潔癖で、とても情にもろいところがあるくせに、恰好の悪いことは大嫌いな、かなり頑固なスタイリストのあなたは、うちの中では、けっこう、威張っていたということ。そして私は、いつでも何でも……できるだけ、あなたの気持に添うように気をつけていましたから、まずまず、天下泰平ということでした」(『老いの道づれ』)