「長年にわたった献立日記の筆が措かれるのはその二年前、平成四年十一月二十二日。八十四歳のときである」(写真は昭和31年の沢村貞子さん)

それまでの暮らしをばっさり切り捨てて

さて、沢村貞子の暮らしぶりが大きく変わったのは平成二年、八十二歳のときである。その前年に女優を引退し、夫の大橋恭彦とともに長年住み慣れた東京・代々木上原の家を引き払い、神奈川・湘南に住まいを移す。老後は、ふたりでおだやかに海の見える場所で暮らしたいという一念で思い立った引っ越しだが、老境にあってそれまでの暮らしをばっさり切り捨てた気概はなまなかなものではない。食器はぜんぶ三枚だけと決め、鍋釜や包丁も処分、家財道具はあらかたテレビ局の美術部に引き取ってもらった。好きな着物でさえ白髪に似合うものだけ、すっぱりと潔く自分を身軽にした。

海の眺められる部屋ではじまった念願の暮らしは、平成六年、五十年連れ添った大橋恭彦が逝去するまで四年続いた。長年にわたった献立日記の筆が措かれるのはその二年前、平成四年十一月二十二日。八十四歳のときである。

11月22日(日)晴
ひらめのうすづくり うなぎのザクザク かぼちゃの甘煮 おみおつけ(大根千六本)

楚々とした食卓の情景が目に浮かぶ。つややかなひらめの刺身。小鉢に盛った香ばしいうなぎ。千六本に刻んだ大根の味噌汁のふくよかな香り。何度も何度も繰りかえし食卓にのぼった、おなじみの料理がふかぶかと余韻を残す。しかし、つぎの日からの罫線のなかには一字一句見つからず、空白がぽっかりとただ続く。その三十六冊めの大学ノートただ一冊だけ、表と裏表紙に芹沢けい介(けいは金偏に土ふたつ)のカレンダーは貼られておらず、むきだしのままになっていた。