『おばちゃんたちのいるところ』(松田青子・著 中公文庫)は、追い詰められた現代人のもとへ、おばちゃん(幽霊)たちが一肌脱ぎにやってくるという愉快な怪談集

しこり、すなわち「モヤッ」とする気持ちは社会の中で頻繁にスルーされる。同じく、怪奇現象や心霊現象などというものも、「おお怖っ」と楽しむことはあっても、実在はしないことになっている。おお怖っ、最近は怖い世の中になったものですなあ。怖くて何もできませんなあ。さて、このチョッピリ怖い話を肴に、一杯いきますか。そんな風に矮小化されていく。

甘やかに放置され、スルーされ続け、丸く馴染みかけたしこりたちを松田青子さんは摘みあげる。そのしこりたちを丸めてゴミ箱にシュート……というには少々、突飛(wild)で、荒れ狂っていて(wild)、狂乱をはらんだ(wild)方法で破裂させる。観客がニヤニヤと笑ってやり過ごすには野蛮(wild)すぎる情景を出現させ、突きつける。

 

実はあの絵は酒に酔って描いたのです

新しく作られる「昔話」というものは、スチームパンクに似ている。古い思想を象徴するモチーフを意味から開放し、思いもよらない転換を施し、全く新しい世界観を作り上げる。新しい昔話について考えるとき、一九九三年に亡くなった二代目桂春蝶(かつらしゅんちょう)さん作の新作落語『ピカソ』のことを思い出す。

『ピカソ』はタイトルロールであるスペイン生まれの画家パブロ・ピカソの苦悩の物語。スランプに陥ったピカソが酒に酔って適当に描いた絵をルーブル美術館長が過大に評価し、彼の作品は美術館のネームバリューによってバズってしまう。実体のない成功に耐えかねたピカソが館長に「実はあの絵は酒に酔って描いたのです」と告白すると、館長は「実は、自分も酒に酔って目が回っていた」と打ち明ける……というサゲで終わる。

もちろん実話ではない。序盤にはピカソの家にゴッホが遊びに来て深酒を心配するシーンまであるが、一八九〇年にゴッホが亡くなったときピカソは九歳なので深酒するはずがない(天満天神繁昌亭にて笑福亭生喬(しょうふくてい・せいきょう)さん演じる『ピカソ』を初めて聴いたときには「これ、皆で笑いを共有するにはボケが細かすぎない⁉」と思ってしまった)。「芸術の評価っちゅうもんは、えらい水もんですわな」と言うために、意図的にあらゆる史実をぽーんと飛び越えているのだ。