「我が社」が働き続けても、たぶん、明日ぱっと全てが解決するわけではない。膝小僧を触ってくるスケベ上司をただちに抹殺することは不可能だし、夜の仕事を予定調和的に嘲笑する「彼ら」が全員改心するには時間がかかるだろう。見つけてもらえないひなちゃんもまだどこかにいるだろう。木曜日になればガムちゃんはまた駆り出されるのだろう。
だけど一九一七年、日本で初めて粉ミルクが製造された。それから百年以上経った二〇一九年、今度は日本で初めて液体ミルクの販売が開始された。エノキのこぶを握りしめ脂を搾っていた女たちが求め続けていたものだ。女たちが、女たちだけで求めていることにされてきたものだ。
図らずも、モーリス・センダックの絵本『かいじゅうたちのいるところ』は、日本で最初に刊行された一九六六年当時は『いるいる おばけが すんでいる』というタイトルだった。ただ共に「いる」こと。この世に「いる」人間も、かつて「いた」人間も、一緒になってアップデートしようと挑み、更新されていく光景を見られる「我が社」という場所の優しさは、ここにある。
ある種傲慢なまなざし
そういえば、落語『三年目』がモチーフの「楽しそう」というタイトルを見たとき、月岡芳年の浮世絵『風俗三十二相』を思い出した。三十二枚で一セットの連作は、すべて「○○そう」という様態がテーマとなっている。
うるさそう。しだらなさそう。いたそう。あつたかそう。ひんがよさそう。けむそう。つめたそう。あつそう。おもしろそう。しなやかそう。さむそう。おもたそう。みたそう。にあいそう。めがさめそう。かゆそう。むまそう。かいたそう。じれつたそう。たのしんでゐそう。あいたそう。のみたそう。にくらしそう。すゞしそう。おきがつきそう。かわゆらしそう。くらそう。あぶなそう。はづかしそう。ねむそう。うれしそう。さんぽがしたそう。