イラスト:小幡彩貴
11月、アメリカの雑誌「TIME」が、2020年の必読書100選を公式サイトで発表した。日本人作家の中で、選ばれたのは4作品。川上未映子さんの『夏物語』、村田沙耶香さんの『地球星人』、柳美里さんの『JR上野駅公園口』、そして、松田青子さんの短編集『おばちゃんたちのいるところ』だ。松田青子さんの作品は、BBCでも「昔ながらの怪談が、想像力豊かにひっくり返され、現代に生きる女性視点から語られている」と激賞された。『日本のヤバい女の子』の著書のある、はらだ有彩さんは松田作品をどう読んだのだろうか?

お菊さんの命は皿一枚よりも軽んじられる

古い時代に作られた噺(はなし)は、読後の心に時々しこりを残す。そのしこりは筋書きに深く関わる場合もあれば関係ない場合もあるが、精査される機会をほんのりと失ったまま、ごく自然に噺に組み込まれているという点では共通している。

『おばちゃんたちのいるところ』のイメージソースとなった物語たちにも、しこりは存在 する。例えば「ひなちゃん」のモチーフである落語『骨つり』では、サゲに「男性どうしの恋愛(または性愛)」の「おかしさ」が大いに使われる。供養した骨が美女の姿でお礼にきたという繁八に倣(なら)い、隣人の男も骨を探して供養する。これで俺にも美人が夜伽(よとぎ)に来てくれる♡……はずが、現れたのは屈強なオトコだった! そんなのってないよ~! という笑いである。オトコは京都三条河原で釜茹での刑に処された盗賊・石川五右衛門で、正体を聞いた隣人は「ああ、だから釜を割りに(アナルセックスの意)来たんだな」と言う。

ここで一同、爆笑。

他にも、「彼女ができること」の『子育て幽霊』では、死んでなお子供を気にかける母親が理想の母親像、理想の女性像として語られる。「菊枝の青春」の『皿屋敷』には、姫路の他に東京を舞台とする「番町皿屋敷」を始めいくつかの類話があるが、どの話でもお菊さんの命は皿一枚よりも軽んじられる。

しかし、話す演者と楽しむ観客が悪い、と片付けるのはあまりにも思考停止である。

「みがきをかける」の主人公が「なんか、私、洗脳されてたんやろか。そいつ(元彼)にじゃなくて、もっとなんか大きなものに」と自問自答するように、サゲで皆を笑わせているのは、個々の自由意思を凌駕する「大きなもの」―社会―だからだ。