当時本能寺には「御殿」「面御堂」「御厩」があり、小姓、側近たちも個々の建物で戦った。しかし衆寡敵せず、信長は「殿中奥深く入り」「御腹をめされ」たという。

明智光秀 織田政権の司令塔』(福島克彦:著/中公新書)

明智軍は、次に妙覚寺に宿泊中の信忠(演:井上瑞稀)を襲おうとした。本能寺襲撃の報を知った信忠は、すぐに信長のもとへ駆け付けようとした。しかし、合流した村井貞勝父子は、すでに本能寺の「御殿」は焼け落ちたので、明智軍の来襲に備え「御構(おんかまえ)よ」い「二条新御所」に立て籠るべきと説得した。当時この「二条新御所」は誠仁親王の御座所となっていたが、戦場になることが不可避だったため、親王、若宮(のちの後陽成天皇)を禁中へ送り出していた。唐突に籠城準備する信忠に対して、退くよう進言した者もいたが、信忠はこの地で戦う覚悟を決めた。

明智軍は、この二条御所にも押し寄せ、本能寺以上に激しい戦いとなった。信忠方は一千余の兵を集め、奮戦したが、明智軍は隣接する「近衛殿御殿へあかり」弓・鉄砲を撃ちかけた。これには信忠も観念し、この場で切腹した。同行して戦った村井貞勝も後を追っている。一方で、信長の弟長益(のちの有楽斎)はこの場を逃れている。