こんな大きな不安には誰も追いつけっこない

父の闘病につきあって死なれたばかりの家族の胸には、病気中の父の姿が生々しく残っています。お医者さまから「明治の男」と評された父は、決して痛い苦しい、と口に出さない人でした。が、それでも見ていれば様子が分かります。

亡くなる二日前、ふと視線のあった私に「僕はどうしたらいいか分からない。本当にどうしたらいいのだろうね」と問いかけてきました。どんなことでも自分で決め、途方にくれることなどない父でしたが、こんな事態には、どうしようもなかったのでしょう。辛かったのか、苦しかったのか、だるかったのか。聞かれた私は、本当にどうしたらいいのでしょう、と思わず涙があふれてしまいました。

この調子なら今夜は静かに眠るでしょう、と夕方病院から家に戻った私のもとに、父の死の報せが入ったのが十時過ぎ。静かな眠りのままの死去とのこと。

その、死につながる深い睡眠に入る十分も前だったでしょうか。心配して覗き込む私に、とにかく報告しておこう、メモでもとっておきなさいという表情で、父は私をぴっしり見つめると「大きな、大きな不安だよ、君。こんな大きな不安には誰も追いつけっこない。僕だって医者だって、とても追いつくことはできないよ」と言ってから横を向いてしまいました。

父が直接、私と交した最後の言葉でした。きっと大きな大きな不安だったのでしょう。死が凄いスピードで父を押し出していったのでしょうか。そんな気持を父はきっと詩か文章かに書きたかったに違いありません。この大きな不安はなんだろうと、きっと考えていたに違いありません。よし、これは何かに使える。メモさせておこう、と。

仕事好きな父、気ままな父、大胆な父、意地の悪い父、公正であろうとした父、やさしい父、金銭におもしろいほど無欲だった父。父のことを書いていると、次から次へと思い出が湧いてきて、今つくづくと思うことは、私はなんとまあ強烈で上等な父親を持っていたのだろう、ということです。

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※見出しは読みやすさのため、編集部で新たに加えています