田山幸憲『パチプロ日記』は、第10巻まで本になっている(写真提供:末井さん)

『パチンコ必勝ガイド』が完売した理由

田山さんのインタビューは1回切りのつもりだったのですが、田山さんとまた会いたくなって、パチプロ日記を書いてもらえませんかとお願いしたら、渋々承諾してくれました。

1988年12月に出した『パチンコ必勝ガイド』の最初の号は、ぼくともう1人の編集者で作ったのですが、2人ともパチンコに詳しい訳ではなかったので、内容的にはとても恥ずかしいものでした。ところが、10万部出して、それが完売したのです。

まさか完売するとは思いませんでしたが、売れるだろうとは思っていました。ぼくのようにパチンコがやめられなくなった人が、一日中パチンコを打ってしまい、気が付いたら閉店の時間になっていて、負けてとぼとぼと家路に向かっていたとします。「ああ、オレ、何やってんだろう」と思いながら、缶コーヒーを買いにコンビニに寄り、雑誌ラックを見ると『パチンコ必勝ガイド』という雑誌があったとしたら「それは買うでしょう」と思ったのでした。だから、コンビニに配本することが重要でした。

この説明では、なぜその人がパチンコ雑誌を買うかということを理解してもらえないかもしれませんが、パチンコを打つ人の「疚(やま)しさ、虚しさ、寂しさ」が、その雑誌で慰められるからです。マーケティングという抽象的なことではなく、パチンコを打つ人だけが感じているリアリティです。

『パチンコ必勝ガイド』は、最初は他の雑誌の増刊号で始まったのですが、すぐに月刊創刊となり、2年後には月2回刊になり、部数も10万部から40万部に増えて行き、関連雑誌の『パチスロ必勝ガイド』や『漫画パチンカー』などの雑誌も次々に創刊され、会社の売り上げの80%をパチンコ・パチスロ関連の雑誌が占めるようになりました。

田山幸憲さんに連載してもらっていた「パチプロ日記」は、全く嘘のない等身大のパチプロの姿で、『パチンコ必勝ガイド』の精神的な支えになっていました。パチンコを打つ読者にとってだけでなく、作る側のモチベーションにもなっていたのです。

月刊から月2回刊になった時、田山さんは「悪徳商人は、どこまでがめついんだ」と本気で怒りながらも、毎回欠かすことなく連載してくれました。