東大中退のパチプロ・田山幸憲さんとの出会い

パチンコ雑誌を作ろうと思ったのですが、パチンコがやめられなくなっただけで、パチンコに関して何も知らないし、パチンコに詳しい人も知りません。

とりあえずパチンコに関係ある人を紹介してもらおうと、友人や知り合いの編集者に電話していたら、ある編集者が田山幸憲(ゆきのり)さんの連絡先を教えてくれました。田山さんは、東大中退のパチプロとして週刊誌に紹介されたこともある人でした。

1988年9月某日、田山さんに電話して取材のお願いをしたら、池袋の山楽会館でパチンコをしてるから、その裏にあるネスパという喫茶店に来てくれと言われました。

パチンコ依存症のようになり、のちにギャンブル依存症になっていく自分が言うのもなんですが、ほんの少し前までは、パチンコや麻雀をやる人間が大嫌いでした。特に昼間からパチンコをやっている連中を人間のクズみたいに思っていて、パチンコ店の前を通るたびに「お前ら、働け」と呟いていました。だから、パチプロなんて働くのが嫌いなヤクザまがいの連中で、そのくせ我が強く、自慢話ばかり聞かされるのではないかと思っていたのでした。

約束の時間にネスパに行くと、一番奥の席でやや長髪でほっそりした顔の学生みたいな人が、うつむき加減で煙草を吸っていました。それが田山幸憲さんでした。