『非国民な女たち 戦時下のパーマとモンペ』飯田未希・著

配給の木炭でパーマをかけた女たち

戦争末期の電力規制でパーマネント機の使用ができなくなると、各都市において見られたのは、配給の木炭を持って美容院の前でパーマネントの順番待ちをする女性たちの姿であった。

コテやカーラーを熱するためにはある程度の量の炭が必要だったため、一人の女性が十分な炭を持っていない場合は、数人の女性たちで炭を共有し髪にコテをあててもらった。女性客たちは、お互いに助け合うとともに、美容師たちが事業を継続できるようサポートしていたのである。

しかしながら、木炭パーマによって女性たちから支持されていた美容院も、地域社会においては難しい立場に置かれていた。女性のもっとも重要な役割は「天皇の赤子」を育てることであり、各家に配給された木炭は、夫や子供のための調理に使われるべきであるとみなされていた。その木炭をもって女性たちは美容院の前に行列していたのである。

秋田の美容師中村芳子は、以下のように述べている。

店の前には相変わらず行列でした。戦争も女性の美しさへのこだわりを押さえることはできなかったのです。わたしは本当に感動しました。

しかし、「辛い、辛い日々」でもありました。

みんながパーマを歓迎している訳ではありません。お国の一大事に敵国のパーマをかけるのは国賊だといって――店の前に炭をもって並ぶ数に勝る中傷、非難の嵐が吹き荒れました。

「アメリカのまねをするな」

と店に石を投げ込まれた苦い思い出もあります。しかし、私はパーマをかけることを一度も止めようとは思いませんでした。求めるものがいる限り、それに応えていこうと心に誓っていました

女性たちもまた、そうした職業者を支持し、積極的にサポートしていたのである。総動員体制において個人主義が批判される中で、洋装美へのこだわりは、やはり個人主義的に映ったはずである。それでも彼女たちは自分たちの感覚を守ろうとした。彼女たちには、彼女たちの闘いがあった。