その編集者と別れ、フラフラしながらも電車には乗れました。ところが、電車が動き出すと急に目が回って吐きそうになったので、次の駅で降りました。しばらくベンチで休んで、次の電車に乗るとまた気持ち悪くなって、次の駅でまた降りてベンチで休むということを繰り返し、ぎりぎりのところで吐かずに済み、御茶ノ水から祐天寺まで辿り着きました。
27歳で白夜書房(当時はセルフ出版)に入ってからは、著者や編集者と飲みに行くことが多くました。相手が著者の場合、こっちが先に酔っ払うわけにはいかないので、酔いそうになったら水を飲んでからまた酒を口に含むみたいなことをやっていたら、そのうちいくら飲んでも酔わなくなりました。その代わり、必ず吐いていました。そういうことの積み重ねもガンと関係があると思います。
何もしないで机に座っているのは拷問のようなもの
あとはストレスです。ガンになった頃、会社では取締役編集局長という役職だったので、実務はほとんどしていませんでした。机に座ってみんなが持って来る書類やら仮払い清算書やらにハンコを押したり、月に7、8回ある会議に出席したりするのが主な仕事でした。果たして、それが仕事と言えるのかどうか、自分でもわかりません。
「それは楽でいいね」なんて思われるかもしれませんが、みんなが仕事をしている中で、何もしないで机に座っているのは拷問のようなものです。
ぼくは自意識が強いので、みんなの目が常に気になります。暇であくびが出そうになると、みんなから暇そうに見られるのではないかと思って、口の中であくびを噛み殺していました。「本でも読んでいればどう?」なんて言う人もいますが、そうでなくても本を読むのが苦手なのに、みんなのいる所で本に集中するなんてとても出来ません。仕方がないので、人と会うふりをして会社を抜け出し、パチンコ店に駆け込んでいました。