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  • 松田青子『男の子になりたかった女の子になりたかった女の子』より一話を特別配信!
2021年04月13日
教養 寄稿

松田青子『男の子になりたかった女の子になりたかった女の子』より一話を特別配信!

松田青子 作家
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子育て 作家 推し本 松田青子

 

 変な帽子だった。
 かたちはそこまで悪くない。黄色い帽子と似たようなものだ。
 でも、柄。
 柄は、自分では決して選ばないような、見たこともない、犬みたいな漫画のキャラクターのイラストがスケボーをしたり、コーンのアイスクリームを食べたりしている。自分が子どもの頃なら、こういうテイストのものはあったかもしれない。星やハートマークとともに、いたるところに配置されているローマ字もダサい。色もダサい。ダサい。小学校でつくった巾着袋の布みたいだ。誰かの手づくりだろうか。なんなんだこの帽子。
 その帽子を、乃蒼は明らかに気に入っていた。自分が見つけたものに大喜びしていて、うれしそうにソファとベッドの間をぺたぺたこちらに歩いてきた。まるでランウェイみたいに、自信満々で。
 近くで見ると、帽子には埃がところどころこびりついていて、全体的に変色していて、ぎゃっと、私は叫び声を上げ、乃蒼の頭からその帽子を急いでつまみ上げた。
 乃蒼の顔はみるみるうちに曇り、帽子に小さな二つの手を伸ばしながら、アッ、アッ、がはじまる。
 ダメだよ、汚いから。
 私が言うと、乃蒼は泣き出した。
 仕方がないので、できるだけ浅く乃蒼の頭にのせてやると、乃蒼はにこにこと笑い出す。泣くことと笑うことは、限りなく近い。
 私はため息をつくと、
 じゃあ、お洗濯しよ、そしたらかぶっていいよ。
 と乃蒼に伝わるように、洗濯機を指さして言う。
 乃蒼は得意の真剣な表情で、うんうんうなずいた。

 

 

 次の朝、乾いた帽子をかぶって、乃蒼と私は外に出た。
 公園で遊んでいても、ベンチでおにぎりを食べていても、突如として現れたそのよくわからない帽子が一緒で、なんで乃蒼はこんな帽子をかぶっているんだろうと思うと深刻な気分になるのが難しく、気持ちがへらへらした。
 洗濯したおかげで帽子はきれいにはなったが、もともとの黄ばみや変色はそのままで、キャラクターも相変わらず不思議だった。何か情報はないかと内側を確認したが、ネームタグも何もなかった。それは、誰のものでもない帽子だった。
 りんごジュースのパックがなくなったので、グーグルマップで検索して、ドラッグストアを探した。
 大きな、どの駅前にもあるようなチェーンのドラッグストアを想像していたら、たどり着いたのは、昔からある個人の薬局が広さに余裕があったのでドラッグストアを真似してみたらこうなりました、という塩梅の店だった。店の人たちはなごやかで、品揃えも悪くない。
 りんごジュースのパックや乃蒼のお菓子、生理が来そうだったのでナプキン数種を次々にカゴに入れていった。
 レジに並んでいると、細い通路を腰の曲がったおばあちゃんが、キャリーカートを押すようにして進んでくる。ベビーカーとキャリーが向かい合う。
 おばあちゃんは乃蒼を見て、かわいいねと足を止め、お年寄りがよくやりがちな、いきなり頬に触る、をやろうとしたが、時節を思い出したのか、手を引っ込め、帽子にそっと触れた。変なキャラクターが口に手を当てて、恥ずかしがっているイラストの部分だった。乃蒼はいつもの真剣な表情のままだ。私はそのすべてを見ていて、そのちぐはぐさに、無性に笑い出したくなった。
 会計の順番が来て、レジの前の台にカゴを置いた瞬間、ふと乃蒼を見て、
 わっ。
 と私は大きな声を出した。
 なぜさっき気がつかなかったのかわからないが、いつの間にか乃蒼は両手で麦茶のペットボトルをぎゅっとつかんでいた。しかもちゃんと子ども用の。
 店のおじさんは、飲みたかったんだよね、と笑ってくれていたが、
 これも買います。
 と私は慌てて財布からクレジットカードを出した。
 私がクレジットカードを持っていることを、夫は知らなかった。
 来週からリモートワークになる。
 水曜日の夜、帰ってきた夫がそう言った。夫はうれしそうだった。
 この家にこの人と閉じ込められる。
 考えただけで、喉がぎゅううと締めつけられ、実際に首を絞められているのかと錯覚した。そうされてもおかしくない、と自分が思っているのがわかった。
 週末に入ったら終わりだった。
 夫になった人はクレジットカードを家族で共有しようと言った。家族になったんだからと。
 私は同意し、自分が持っているカードのことを話そうとした。
 でも、いつかSNSで偶然目にした、ママアカウントをやっている知らない女の人の言葉をふと思い出した。結婚する時、もしもの時に逃げられるお金を隠しておいたほうがいい、とその人は母親に言われたと書いていた。
 目の前を通り過ぎていっただけの言葉だったのに、へー、と思っただけだったはずなのに、私の中にはその言葉が残っていて、私はなぜか、その知らない誰かの言うことを聞いた、これからともに暮らしていく夫のではなく。
 カードは持ってない。
 私の口はそう言っていた。
 辞める前の仕事の給料を夫は尋ねてこなかったし、確かにそんなに多くはなかったが、言葉の端々からそれよりもさらに少なく見積もっているのが伝わってきた。だから、ばれなかった。しばらくして、妊娠していることがわかった。
 経済DVという言葉を知ったのもSNSだった。それは、この結婚生活はおかしいと気づいた、ずっと後のことだった。

 

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