洗濯物が乾くたび、これでまた数日間、無事に日々を続けていけると心強い気持ちになる。
新たに洗ったものを浴室に干し、出かけた。予約する時見落としていたが、この部屋には浴室乾燥機がついていた。
グーグルマップで目的地を検索する。グーグルマップは便利というより、味方、という感覚のほうが近い。見知らぬ土地で、知り合いが誰もいなくても、どこにでも行ける。
ベビーカーを押しながら、
葉っぱが赤いね、黄色いね。
そう乃蒼に声をかけるが、後頭部しか見えないので、どんな顔をしているかはわからない。たぶんいつもの真剣な表情だろう。
大きな神社に近づくと、レンタル着物を着た女の子たちとたくさんすれ違う。マスクをしてでも着物を着たいのかと面白く思う。
若い男女のカップルが着物を着て、手をつないでいる。そんな二人がちらほら見える。自分がこの年齢の頃に、彼女とのデートで、おそろいで着物を着る男の子がどれだけいただろう。まだ十年くらいしか経っていないのに、なんだか全然違う気がした。ウイルスが流行していても、人は着物を着るし、恋をする。同じ時に同じ街にいるのに、そういうすべてが自分からは遠かった。大きな公園を抜け、スマートフォンで写真を撮るために着物を着た女たちが一斉にマスクを外すのを横目で見ながら、横道に入った。
少し行くと、いかにも高級な低階層のゲストハウスが目の前に現れ、タクシーが出てきたので、一瞬身構える。
見上げると、こちらに面した客室の大きな窓越しに、金髪の男女の姿が見える。大きな液晶テレビには、スピーチをする女の人の姿が映っている。あれが昨日スマートフォンで就任式のニュースをちらっと読んだ、アメリカ初の女性副大統領なのだろう。二人はリラックスした様子で、テレビを見ていた。
石畳の小路は想像以上に、ベビーカーを押すのに難儀した。乃蒼の体が絶えず揺れ、さすがに心配になる。これでは車イスも大変だろう。
小さな通りは、お寺の向かいに土産物屋や雑貨店が連なっていて、目当ての店もその並びにあった。
これくらいなら一人でいけそうだなと判断し、おりゃあとベビーカーを抱えて数段ほどの石段を上がろうとすると、ちょうど出てきた二十代くらいの男女が、驚いた表情を顔に浮かべた後、手伝ってくれた。
抹茶のお菓子で有名なこの店はいくつか支店があったが、ここがホテルから一番近い店だった。せっかくだから散歩のついでに寄ってみようと思ったのは、結婚前、職場の同僚と一泊二日でこの街を訪れた際に食べたパフェの味を思い出したからだ。
わらび餅が好きな乃蒼にはわらび餅と白玉のセット、自分にはほうじ茶パフェを選んだ。
外の席しか空いていなかったので、ベビーカーのままでもいいかと思ったが、乃蒼がベルトを外せ外せと催促してきたので、外してやり、私の隣に座らせた。
早速テーブルの上にのっているものを一つ一つ触って、確認をしはじめたので、絵本を読むように一緒にテーブルの上のメニューを読み、今からこれを食べるんだよ、おいしいの食べるんだよと、メニューの写真を指さしながら、間を持たせるために考えつく限りのコメントをする。これもおいしそうだね、おいしいのいっぱい入ってるね、これはまだ食べられないね、大きくなったら食べようねー。
乃蒼は気に入ったのか、最後のページまで来ると、もう一回読めと最初のページを再び開いたので、メニューを二周した。
わらび餅と白玉のセットが先に運ばれてきた。
乃蒼の口のサイズに小さく切り分けていく。はやく食べたい乃蒼から抗議の声が上がり、わらび餅をつかもうと手が出てきたので、持参した子ども用のスプーンをすかさず握らせ、切った分から食べさせる。
ほうじ茶パフェもやってきたので、乃蒼から手の届かないテーブルの反対側に置くと、乃蒼の動向に目を光らせながら、身を乗り出すようにして食べる。
案の定、私がパフェを三分の一食べたあたりで、乃蒼は半分以上わらび餅と白玉が残った皿を押しやり、アッ、アッ、とじたばた動きはじめた。
すかさず、トートバッグから電車のボードブックを取り出し、私の膝に乃蒼を座らせると、片手でボードブックを支え、ところどころ書かれている電車の名前を読み上げてやりながら、パフェを食べ続ける。手が四本、口が二つあればいいのに。
乃蒼がぐずり出す前になんとか食べ終わることができたが、急いだせいで、味わうどころではなかった。でも、最初の一口のおいしさにハッとした感覚は残っている。とりあえず、それでいいことにした。
乃蒼を抱きかかえて会計をしにいくと、レジの後ろに貼り紙があるのが目に入った。この、政府の旅をしなさい、外食しなさい政策の青い貼り紙を至るところで目にするが、実際に使っている人をまだ見たことがない。どうやって利用するのかもよくわからなかった。
会計を済ませ、店を出たところの砂利が敷き詰められた、神社の境内のような空間で乃蒼をベビーカーに乗せようとしたが、お腹が出るほど身をよじり、イヤイヤをされ、仕方がないので下ろした。とたんに機嫌が良くなり、うひゃひゃひゃひゃとしか形容のできない声を上げながら、駆け回る。
しばらくして、もう一度抱き上げてみると、満足したらしく、おとなしくベビーカーに乗ってくれた。
まだ明るかったので、行きとは違う道に入った。
民家の並ぶ静かな通りに入ると、窓が開いている古い家が目についた。
通り過ぎざま、反射的に観光客気分で覗き込むと、木の面格子越しに、炬燵を囲んでテレビを見ている家族の背中が見えた。画面にはまた、あのアメリカの女の人が映っていた。