次の日は動物園に行った。その翌日は水族館。乃蒼はいつもこの帽子をかぶり、ご機嫌だった。まだよくわからないのか、ガラス一枚隔てたところに、ライオンの顔があっても、サメの顔があっても、いつもの真剣な表情をして、顔色一つ変えなかった。乃蒼といると、人間の強さを忘れることができない。
ほら、絵本のペンギンさんだよ。
ペンギンのプールでペンギンを指さしながらそう言ったが、乃蒼はやっぱり真剣な表情をしていた。
動物園の園内を走る、汽車の乗り物にもはじめて乗った。そういえば、水族館もはじめてだった。山椒魚の、一番小さいサイズのぬいぐるみを買ってやると、乃蒼はぎゅっと抱きしめ、ホテルに帰るまで離さなかった。
この部屋を出る時も、乃蒼はこの帽子をかぶっているだろう。新しい街でも、この帽子をかぶるだろう。いつかまた、この帽子も何かの拍子に、私たちの前から消えてしまうかもしれない。その時、乃蒼はもう話せるようになっていて、悲しみを言葉にするすべを手に入れているかもしれないけれど、そしたら私は、悲しまなくてもいいんだよって言うんだ。あの帽子は今度はほかの子のところにいって、その子を守ってあげるんだよって。
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