鈴木保奈美さん(右)と三浦しをんさん(左)
本誌連載が初の著書として出版された鈴木保奈美さんが、かねて作品を愛読する三浦しをんさんと初対面。「書く」ことへの思いをぶつけます。小説、エッセイ、演技。表現することの意外なる共通点は――後編は(構成=山田真理 撮影=大河内禎)

前編につづく

『皆さん』ではなく『あなた』に届けます

三浦 エッセイでも「近頃の社会は」みたいに大上段から論じるものは得意ではなくて。日常のなかで、誰かの生活だったり思いだったりが実感できるエッセイが書きたいし、読むのも好きなんです。鈴木さんのエッセイは「女性だから皿洗いしなきゃいけない」と思ったことへの違和感とか、老眼鏡を意地でも老眼鏡と呼びたくない気持ちなど、あるある、わかるわかると、共感したり考えさせられたりして、とても楽しく刺激的な読書の時間でした。

鈴木 仲のいい友だちに「ちょっと聞いてよ」としゃべったり、テレビに向かって「それってどうよ」と突っ込んでいるのを、そのまま書いてる感じなんです。

三浦 先ほどの「正解を求める」というお話とも通じるのでしょうが、世の中すべてに通じるような普遍性を求めても、受け手は多種多様だから思うようには行かない。でも、おずおず差し出した些細な日常の出来事や気持ちだと、すごく深く受け止めてくださる方がいる。「美や普遍は、実は細部に宿る」というか、それがいちばん良いコミュニケーションの形じゃないかと私は思っていて。

鈴木 そうですね。

三浦 鈴木さんのエッセイに感じるこの親密さって、ラジオと近いなあと思ったんです。テレビほど多くの人に向けた発信ではないけれど、確実に深く受け止めてくれる相手がいるような。対話している気持ちになります。

鈴木 20代の頃に一時期、ラジオ番組を持っていたことがあって。そのときのプロデューサーに、「絶対に『皆さん』と言っちゃいけない。聴いてくれる人は一人一人なのだから、『あなた』にこの曲を届けますと表現しなさい」と。今でも強烈に覚えています。

三浦 なるほど、面白いですね。エッセイに通じる部分があるなあ。