最近のキー坊(写真撮影:末井さん)
編集者で作家、そしてサックスプレイヤー、複数の顔を持つ末井昭さんが、72歳の今、コロナ禍中で「死」について考える連載「100歳まで生きてどうするんですか?」。母、義母、父の死にざまを追った「母親は30歳、父親は71歳でろくでもない死に方をした」が話題になりました。第11回は、「思い出と生きる人、死者と生きる人」のお話です。

第10回●「〈まさか自分が女装にハマるなんて思ってもみなかった」

かつて自分が死にそうになった時のこと

1回目の緊急事態宣言が解除された時、安倍首相が「感染の流行をほぼ収束させることが出来た。まさに日本モデルの力を示したと思う」と演説していました。あれから1年が経ったのですが、収束どころか変異株が猛威を振るい、さらなる感染拡大が続いています。まさか1年後も家にこもっているなんて想像もしませんでした。日本モデルの力とは何だったんでしょうか。

3回目の緊急事態宣言下、なるべく家から出ないようにして、変化のない日々を送っているのですが、そうすると記憶力がどんどん落ちてきて、昨日のことさえ思い出せないことがあります。夕食を食べていて、「あれ? 昨日の夕食は何を食べたっけ?」みたいなことがたびたびあるのです。

そういう日々が続いて行くと、家ごもりしている間のことは、記憶に残らないということになります。何年後かにこのコロナ禍を振り返ると、「あの頃はコロナで大変だった」ということしか思い出せないとしたら、過去が空白になったみたいでもったいないような気持ちになります。

というのは、若くて体力と気力がある頃は、過去のことを思い出したりすることもなく、ぐんぐん前に進んで行きますが、体力も気力も衰えてくると、溜め込んだ思い出に浸っていることが楽しみになってくると思ったりするからです。それを老人というなら、この1年で、ぼくはずいぶん老人になったような気がします。

死のことを考えるようになったのは、1年前にニューヨークでコロナ患者が1日800人も死亡しているというニュースをテレビで見た時からですが、もう対岸の火事のように思っていられない状況になってきました。

死について考えていると、かつて自分が死にそうになった時のことを思い出します。子どもの頃、2回死にそうになったことがあるのです。死神はその時に追っ払っているので、そのぶん長生き出来るかもしれません。