頼朝の教育不足があったのでは

そこまで考えて行動していた頼朝であれば、もうちょっと息子たちをしっかりと教育する必要もあったのかもしれませんね。「おまえたちは何のために存在しているのか」ということを、父親として、もっときちんと伝えるべきだった。

その教育が足らなかったので、息子たちはどうしてもおぼっちゃま育ちになってしまい、関東の武士たちを軽んじる方向で動いてしまった。結果、源氏は三代で滅びてしまう。

その運命を考えると、むしろ頼朝は自分の息子に「おまえたちはがんばるな」と伝えたほうがよかったのかもしれません。

父、頼朝の時代は、たしかにがんばる必要があった。どうしても「鎌倉に生まれた政権を京都に承認させる」という大仕事がありました。

しかしそれは俺がやる。俺が仕事を終えたあとは、おまえたちは遊んで暮らせ。逆に、うかつにがんばって働こうとするな。自分の存在感を発揮しようとして妙なことに手を突っ込むと、家来たちに疎まれてかえってやられるぞ。

そう教えておけば、それでよかったような気がします。

源頼朝の墓(写真提供:写真AC)

 

「君臨すれども統治せず」にも価値はある

実際、最近の研究を通じて、三代将軍実朝は統治者としての務めを果たそうと、結構がんばっていたということがわかってきました。

しかしそれは家来たちにとってみると、「将軍さんは適当に遊んでいてください。いちいち口を出されたらウザい」ということで、「君臨すれども統治せず」でいてくれたほうがありがたかった。

日本の権力構造には、そのほうが落ち着く傾向があります。上はやんごとなき血の人をかついで、実際の政治はその下の人間がやる。そこで上が"うっかり"とやる気を出して実務に首を突っ込んでいくと、命を失うことにもなる。

自分自身が痛感していただけに、頼朝はこのあたりの事情を、きちんと息子たちに伝えるべきではあったでしょう。

ただ、実朝もわかっていたのかもしれない。彼は彼で「自分は中国の高僧の生まれ変わりだ」と言い出し、中国に渡ろうとして陳和卿(ちんなけい)という、大仏をつくった南宋の人に船をつくらせましたが、あれは要するに鎌倉から逃げだしたかったのではないか。

しかし結局、つくられた船は動かなかった。恐らく裏で北条義時が、動かない船をつくるよう、陳和卿に命令していたのではないでしょうか。

平家ではありませんが、源氏将軍がどうあがいても、やはり滅びる運命だったのかもしれません。


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