「大勢の中にいても、一人孤独を満喫することが出来れば、そこには自由があるはず」

子供をやめると決めたあの日

私はこの『自伝』の中で、昭和初期の港町横浜を覆っていた時代風景と、私を取り巻く大人たちの考え方や、生活ぶりを書いたつもりなのだ。340頁近く書いたのに、書きこぼれた様々がある。

88年も生きてきた私が、思いのたけを書いたら、上、中、下巻になって、読む方たちがうんざりなさることだろう。

私が一貫してテーマにしたいことは《孤独》。そしてその取り込み方なのだ。孤独とは一人ぼっち、になることではない。

大勢の中にいても、一人孤独を満喫することが出来れば、そこには自由があるはず。人間は生まれた時も、死ぬ時も一人。だったら、その別れがたい孤独を、自分流に取り込んで、自由の醍醐味を味わう。私の大雑把な考えです。

幼い頃の私は、絵や字を書くのが好きだった。大人になったら物語を書く人になりたいと思っていた。思っていただけではなく小学生の時から、綴り方の域を出ない、幼稚な物語を書いて楽しんでいた。それらが「家」というすべてのものと共に焼け落ちて消えてしまったのは、第二次世界大戦末期の昭和20年、5月29日の横浜大空襲だった。75年も昔のこと。自伝には、その時の生き地獄の有様を書いた。

私は、華奢な体に似合わず私と一緒に木登りをしたり、ダジャレを連発する面白い母が大好きだった。その母が、襲いかかるB29爆撃機の大軍にも怖けず、12歳の私を置いて、留守にしていた隣家に残された赤ちゃんを助けに駆け出した時は、心底凄いと思ったものだった。

「公園に逃げなさい。松の木のところで待っていて!」

その松の木に登って、私は直撃弾で我が家が燃えるのを見ていた。

防空壕に入った人たちは、爆風と土砂崩れでほとんど犠牲になった。

松の木にしがみつき、ガタガタ震えながら「12歳、私は今日で子供をやめた」と決めた。